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「選手としては難しい。でも…」 “審判員でワールドカップ”を意識した大先輩の言葉――フットサル国際審判員・山本真理さん

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「選手としては難しい。でも…」 “審判員でワールドカップ”を意識した大先輩の言葉――フットサル国際審判員・山本真理さん

著者:長島 恭子(W-ANS ACADEMY編集部)

2026.05.28

キャリア

フットサルの国際審判員として活躍する山本真理さん【写真:荒川祐史】
フットサルの国際審判員として活躍する山本真理さん【写真:荒川祐史】

特集「スポーツ界のお仕事」第3回、サッカー1級審判員/フットサル国際審判員・山本真理さんインタビュー前編

 スポーツ界で働くのは、選手だけではありません。スタッフや審判など、多くの人たちが選手たちと一緒に努力し、スポーツを作り上げています。今回は「スポーツ界のお仕事」特集として、サッカーの1級審判員、フットサルの国際審判員として活躍する山本真理さんにインタビュー。前編では審判員を志したきっかけや、保育士の仕事を始めるに至った経緯などを聞きました。(取材・文=長島 恭子)

 ◇ ◇ ◇

――山本さんはサッカーの1級審判員、そしてフットサルの国際審判員をされています。まずは審判員の資格を取ろうと決めたきっかけを教えてください。

「中学3年生の時、サッカー部の顧問の先生に勧められたことがきっかけです。当時、中高一貫の女子校(共立女子第二)のサッカー部に所属していましたが、顧問の先生は『ルールをよく理解していたほうがプレーをするうえでもいいから、受験できる人は取りに行ってほしい』という方針でした。サッカーの審判資格は4級から始まり、3級、2級、1級とあります。まずは友達と一緒に4級の資格を取りに行き、高校2年生の時に3級も取得しました」

――その後、東京女子体育大に進学します。

「中学、高校時代は強豪校ではなかったので、もっと高いレベルで競技を続けたいと思い、当時、強豪校だった東京女子体育大学を受験しました。高校時代に3級審判員の資格を取っていたので、顧問の先生からは『審判員として上を目指してみたら?』と言われましたが、当時は選手として上を目指したかったんです。ところが、大学のサッカー部に入ってみると、周囲は高校時代にインターハイや高校選手権で活躍した選手ばかり。出場の機会はまったく得られませんでした」

――それで審判員を目指そうと思い始めた?

「大学生で3級を持っている人は珍しかったので、まず東京都サッカー協会から『協会から派遣する審判員として、試合を受け持ってみませんか?』と声がかかりました。本気で取り組んでみようと思えたのは、日本で初めて女性の国際審判員になられた吉澤久惠さんが『一緒に大会に参加してみない?』と熱心に誘ってくださったからです。吉澤さんの存在もあって『選手としては上のレベルに行くのは難しい。でも、審判員ならば私も上が目指せるのかな』と思い、挑戦することを決めました。いつか国際審判員になって、世界大会、ワールドカップで笛を吹きたいという思いが生まれたのもこの頃です」

AFCフットサルアジアカップで審判員を務めた山本さん【写真:AFC提供】
AFCフットサルアジアカップで審判員を務めた山本さん【写真:AFC提供】

――審判員の昇級審査には規則テストや体力テストのほか、試合経験やそこでの評価も加味されます。大学卒業後は仕事をしながら審判員の活動を続けなければいけない。時間的にそれが許される就職先を見つけるのに、苦労しませんでしたか?

「そうですね。シーズン中は基本、土日は試合ですし、大会に参加する場合は金曜日からお休みを頂くこともあります。そのため、就職先は審判員の活動に理解のある職場を中心に探しました。大学3年時に2級を取得すると、なでしこリーグ(当時の女子サッカー国内トップリーグ)の副審を担当するようになったんですね。すると、女性レフェリーの先輩方に直接話をする機会が増え、人脈も広がり、いろいろな会社の情報を得ることができました。そして知り合いの紹介で試験を受けた会社に入社。メーカーの営業として約9年間、働きました」

難しかった仕事との両立、現在は保育士として勤務

審判員と仕事の両立に加え、資格取得や事務局のサポートなど、様々なことにチャレンジしている【写真:荒川祐史】
審判員と仕事の両立に加え、資格取得や事務局のサポートなど、様々なことにチャレンジしている【写真:荒川祐史】

――その後、転職されたんですか?

「はい。最初の会社に勤めていた時に1級審判員の資格を取得して、なでしこリーグで主審を務めることが多くなりました。同時に仕事のほうでも国内外の出張が増え、だんだん審判員のトレーニングの時間が取れなくなってしまったんです。結局、両立が難しくなり、31歳の時に転職を決めました。実は今の仕事で4社目なんですよ。転職後は契約社員としてホテルに勤め、次は国立スポーツ科学センター(JISS)で働き、女性アスリート支援の仕事を担当しました。JISSにいる間は夜間の学校に通い、保育士の国家資格を取得。20年から保育士として働いています」

――なぜ保育士の資格を取ったのでしょう?

「JISSで女性アスリートの支援に携わっていた時、現役生活を続けながら子育てをする荒木絵里香さん(元日本女子バレーボール代表)や中山由起枝さん(元クレー射撃日本代表)と出会いました。アスリートたちが遠征に行く間、子どもを家族に預けたり、子どもと離れることに悩む姿を見たりした時、『自分が子どもの面倒を見られたら、働く女性の役に立てる、サポートできるのでは?』と思ったんです。実はJISSでのご縁がきっかけで、現在も荒木さんが代表理事を務める一般社団法人MAN(※)のお手伝いもさせていただいているんですよ」

※ライフイベントとスポーツを両立するアスリートのネットワーク組織。前代表理事は中山由起枝氏。

山本さんが試合で身に着けている、審判員の必須アイテム(ホイッスル、レッドカード、イエローカード、トスコイン)【写真:荒川祐史】
山本さんが試合で身に着けている、審判員の必須アイテム(ホイッスル、レッドカード、イエローカード、トスコイン)【写真:荒川祐史】

――これまでを振り返り、審判員になるという覚悟を決めた瞬間や、自身のターニングポイントになった試合がありましたら教えてください。

「3級審判員を目指していた高校1年生の冬に、中学生の大会で初めて公式戦の主審を担当しました。その試合で、選手交代のタイミングを計ろうとソワソワしてしまい、ボールがアウトになる前に間違えて笛を吹き、試合を止めてしまいました。その時、相手チームの監督さんから『そんなんじゃ3級になれねえよ!』と厳しい口調で言われました。その言葉を聞いて、『本当にその通りだな』と悲しくて、悔しくて、不甲斐ない気持ちになり、試合終了後、心配して見守ってくれていた顧問の先生の前で、「終わりました。でも、ツラいです」と言い、ユニフォームに着けていた4級審判のワッペンをベリベリっとはがしてしまったんです。その日以降も、いっぱい失敗をしてきましたが、あの時抱いた『悔しい、もう失敗したくない、もっと上手くなりたい』という気持ちは今も鮮明に覚えています」

■山本 真理 / Mari Yamamoto

 小学3年生の時にサッカーを始める。共立女子第二中学3年時に顧問の先生の勧めで、サッカーの4級審判員の資格を取得。その後、同高校2年時に3級を取得。東京女子体育大3年時に2級を取得した。大学卒業後は働きながら東京都女子サッカーリーグに所属するチームでプレー。同時に審判員としての経験を積み、11年にサッカー1級審判員の資格を、14年にはフットサル審判員1級を取得。18年に国際審判員に認定される。2025年第1回FIFAフットサル女子ワールドカップ フィリピン2025の審判員に選出。2試合で第二審判を務めた。また、普段は保育士として働きながら、一般社団法人MANの事務局もサポートする。

(W-ANS ACADEMY編集部・長島 恭子 / Kyoko Nagashima)

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