「COLUMN」記事
「奥歯を噛むとパワーが出る」は本当? 専門家に聞く、歯と運動パフォーマンスの深い関係
著者:W-ANS ACADEMY編集部
2026.11.06

特集「アスリートと歯」第1回・歯と運動パフォーマンスの関係
歯や噛み合わせの状態が、実は運動パフォーマンスにも影響を与えることを知っていましたか? W-ANS ACADEMYでは、11月8日の『いい歯の日』にちなんで「アスリートと歯」について特集。第1回はパリ五輪の選手村ポリクリニックのデンタル部門で活動していた明海大学の田邊元講師に、歯と運動パフォーマンスの関係について伺いました。
◇ ◇ ◇
アスリートにとって歯のコンディションは、パフォーマンスにも関わる重要な要素です。
スポーツ界ではベストパフォーマンスを発揮するためには「心」「技」「体」、そして最近では「環境」を加えた4つの要素が重要とされています。実は「口腔内」一つをとっても、「心」「技」「体」「環境」が競技力を左右します。
では、具体的に歯や噛み合わせが運動パフォーマンスにどのような影響を与えるのか? 「パフォーマンスを引き出すこと」と「パフォーマンスを下げない(コンディション低下や怪我の防止)こと」の2点から解説していきましょう。

まずは「パフォーマンスを引き出す」です。
「奥歯をグッと噛むとパワーが出る」という話を聞いたことがある人は少なくないと思います。実際、しっかり噛み締めることで、握力が平均約12%向上したという研究結果(※1)も出ています。このように、人間の体には適切に噛み締めることで、力を込めた部位とは離れたところにある筋肉の活動が高まり、パワーが一時的に向上する現象が起こります。これを専門用語で「リモート・ファシリテーション(遠隔促通)」と呼びます。
例えば、試合中に大きな声を出したり、手を力強く握ったりすると、瞬間的に全身に力が入ることを感じると思います。これと同じ現象です。
さらに、奥歯と前歯では、運動機能に関わる脳の活動が異なります。奥歯で噛むと、筋力や瞬発的な力の発揮に関わる脳の活動が高まります。前歯で噛む時は、手先の器用さや細かな動作のコントロールに関わる脳の活動が高まるという報告(※2)もあります。
つまり、適切な噛み合わせはパワーが必要な競技だけでなく、手先の繊細なコントロールが求められる競技でも、よい影響を与える可能性があるのです。
そのほかにも、さまざまな研究から、適切な噛み締めによってバランス能力が向上したり、認知機能や判断力に影響したりと、「パフォーマンスを引き出す」ことにつながる影響が報告されています。
また、歯並びや噛み合わせ、顎関節の状態は運動時の口や顎の動きに関係します。運動時は頭の位置や姿勢に応じて下顎も動き、頭頸部が協調して機能します。歯並びの乱れや顎関節症などによって顎の動きに制限があると、動作中の体幹とのスムーズな連動が妨げられる可能性があります。
私は2024年のパリ五輪で、選手村のポリクリニック(総合診療所)内の歯科に従事していましたが、そこで世界各国の代表選手たちのマウスガードの製作・調整に対応しました。10日間で100人ほどの選手を見ましたが、きれいな歯並びの選手が多いことが印象に残っています。
歯は、単に食べ物を噛むためのものではありません。全身の筋力やバランス、器用さにも関わる、パフォーマンスを支える重要な要素なのです。
歯の痛みがパフォーマンスを低下させる要因に
次に歯や口腔内の状態が「パフォーマンスを下げない(コンディション低下や怪我の防止)」側面に与える、よい影響を考えてみましょう。
まず、歯の状態や噛み合わせがよいと、「食べ物をよく噛んで食べる」ことができます。食事はアスリートの体の素です。しっかり咀嚼することで胃腸に負担をかけず、栄養の吸収を良くします。これは、カラダ作りやリカバリーの面で非常に大切です。
また、マウスガード(マウスピース)を装着しているアスリートをよく見ると思いますが、ケガの不安が軽減され、安心してプレーできるという声をよく聞きます。
一方、歯に痛みがあると、パフォーマンスの低下に直結します。
国際大会の最中も、診療所に「歯が痛い」と相談に来た選手がいました。大会直前に歯科治療が必要になると、試合当日を迎えるまで、治療のために練習スケジュールや調整メニューを何度も変更しなければならず、痛みによる不眠や心理的な不安も抱え、十分な力を発揮できません。結果的に、その選手は予選で敗退となってしまいました。
このように、競技現場では、歯のトラブルによって集中力が低下し、パフォーマンスを発揮できなくなる選手を目にします。そのため、私は常々、選手に「歯のことで大事な試合をフイにするのはもったいないよ。気になるところは事前に検査や治療を受けた方がいいですよ」と伝えています。
しかし、選手の話を聞くと、歯科受診の優先順位は非常に低いのが現状です。特にトップアスリートになるほど、ほかにもやらなければならないことが多く、時間の制約や、歯のケアがパフォーマンスに直結するという実感の乏しさから、受診のハードルが高くなっています。事実、五輪候補選手のなかで治療が必要な虫歯がある人は約半数に上ります。(※3)これは一般の20代と比較しても多いのです。
歯の痛みがあると、集中力が低下してしまいます。せっかく積み重ねてきた努力も、歯のトラブルによって十分に発揮できなくなる可能性がある。特に大事な試合を控えている場合は、事前に歯科で検査を受け、問題がないか確認しておくことも大切です。
それ以外にも、最近は男女を問わず、「ホワイトニングをしたい」「マウスピース矯正で歯並びを整えたい」という相談が非常に増えています。
現代のトップアスリートは、見た目にも高い関心を持っています。メディアへの露出やSNSでの発信が増えた今、アスリートが自信を持って笑顔になれるか、自分の見た目に納得できているかということも、自己効力感、つまり「自分はできる」という自信に関わります。
歯のトラブルを未然に防ぐことは、身体的なコンディションだけでなく、心理的なコンディションを維持するうえでも、とても重要なのです。
IOC(国際オリンピック委員会)も、アスリートの口腔内について定期的なチェックとフォローアップを行うよう、示しています。国内でも、国立スポーツ科学センター(JISS)で強化選手のメディカルチェックに歯科を組み入れています。
歯のトラブルは、一瞬で集中力を奪うリスクです。それと同時に口元への自信は、アスリートのメンタルを支える要素にもなります。
虫歯の予防だけでなく、口の中の状態を知ること、良い状態に保つことは、スポーツをする人にとって、とても大切なのです。
次回(第2回)は、皆さんが日常でできるセルフケアと、スポーツ歯科医を活用した専門的なコンディショニングについて、具体的に解説しましょう。
【参考文献】
※1 Churei H. [Relation between teeth clenching and grip force production characteristics]. Kokubyo Gakkai Zasshi. 2003 Jun;70(2):82-8. Japanese. doi: 10.5357/koubyou.70.82. PMID: 12879850.
※2 Yoshizawa H, Miyamoto JJ, Hanakawa T, Shitara H, Honda M, Moriyama K. Reciprocal cortical activation patterns during incisal and molar biting correlated with bite force levels: an fMRI study. Sci Rep. 2019 Jun 10;9(1):8419. doi: 10.1038/s41598-019-44846-4. PMID: 31182743; PMCID: PMC6557817.
※3 豊島由佳子, 岩崎圭祐, 上野俊明, 近藤尚知, 高垣智博, 友利杏奈, 中嶋耕平.トップアスリートの口腔内状況の変化―国立スポーツ科学センターにおける20年間のメディカルチェック結果について―. 日本臨床スポーツ医学会誌. 2025;33(1):33-41.
教えてくれたのは…

■田邊元 / Gen Tanabe
明海大学歯学部スポーツ歯学分野講師/早稲田大学スポーツ科学部卒業後、岡山大学歯学部歯学科に編入。卒業後、東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科を修了。東京医科歯科大学(現・東京科学大学)歯学部附属病院医員を経て、2023年より現職。また現在、国立スポーツ科学センター(JISS)メディカルセンター非常勤医師(歯科担当)を務め、パリ五輪(2024年)ではデンタル部門歯科補綴医(マウスガード担当)として、選手村ポリクリニックで活動した。新潟高校時は陸上部に所属し、短距離(4×100mリレー/4×400mリレー)でインターハイ、日本選手権出場。JASD専門医、マウスガードテクニカルインストラクター、JSPO公認スポーツデンティスト。
(W-ANS ACADEMY編集部)
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