「INTERVIEW / COLUMN」記事
「この生きづらさから逃げたい」 高2の冬、突然の病に困惑も…広場恐怖症との共生を決意させた言葉――ゴルフ・菅沼菜々
著者:金 明昱
2026.03.05
コンディショニング

「THE ANSWER的 国際女性ウィーク」3日目 菅沼菜々インタビュー前編・不安障害
「W-ANS ACADEMY」の姉妹サイト「THE ANSWER」は3月8日の国際女性デーに合わせ、さまざまな女性アスリートとスポーツの課題にスポットを当てた「THE ANSWER的 国際女性ウィーク」を展開。今年は「心とカラダを満たす『幸せ』の選択」をテーマに、3日から12日まで10日間にわたってアスリートがインタビューに登場します。高みを目指し、心身両面で全力を尽くすアスリートたちの姿を通して、一人ひとりの女性が“自分らしく”、幸せな日々を過ごすためのヒントとなる内容を「W-ANS ACADEMY」でも掲載します。
3日目は「広場恐怖症」という困難を抱えながら、ツアー3勝を挙げているトッププロの菅沼菜々(あいおいニッセイ同和損害保険)が登場します。テーマは「病との共生と、自分らしさの貫き方」。移動の制限というプロゴルファーにとって致命的とも言える壁にどう向き合い、そしてなぜ彼女は「自称アイドル」として規格外の発信を続けるのか。前編では、突然の病に襲われた高校時代と、絶望の淵で彼女を救った“アイドルの言葉”について振り返りました。(取材・文=金 明昱)
◇ ◇ ◇
女子プロゴルファーの菅沼菜々は2018年にプロテストに一発合格し、2023年には2勝をマーク。そして2025年5月、パナソニックオープンレディースで、1年7か月ぶりとなるツアー通算3勝目を劇的な復活優勝で飾った。
最終日18番、グリーン奥からのアプローチをわずか40センチに寄せたあの「神の一打」は、年間表彰式でベストプレーにも選出された。華やかな笑顔とアイドルさながらのビジュアルでファンを魅了する彼女だが、そのキャリアを語る上で避けて通れない、もう一つの現実がある。「広場恐怖症」という、移動の制限を伴う病と共に戦っていることだ。
飛行機や新幹線に乗れない。渋滞が怖い。トンネルが怖い。特定の場所において、強い恐怖や不安を感じてしまい、日常生活に支障をきたす。それが広場恐怖症だ。世間一般にはまだ認知度が低く、理解されにくいこの症状が彼女を襲ったのは、高校2年生の冬だった。
「最初は『無気力症候群』って言われたんです。高2の時、なんかもうゴルフ辞めたいなーってなっちゃって。メンタル的にしんどくなって心療内科に行ったら、そう診断されました。でも本当に大変だったのは、そこからでした」
それまで当たり前にできていたことが、一つ、また一つと「恐怖」に塗り替えられていった。部活の遠征バスや電車に乗れなくなった。生活のあらゆる場面が、急に牙を剥き始めたのだ。
決定的な出来事は、学校帰りの電車内で起きた。
「いつもと違う路線の、快速電車に乗っていたんです。快速だから駅を飛ばしますよね。その『駅に止まらない』という状況に、急にドキドキして……。頭が真っ白になって過呼吸になり、意識が半分なくなるような感覚でした。周りは普通にスマホをいじったり本を読んだりしているのに、自分だけ急に違う世界に放り込まれた感じで。次の駅で降りて、すぐにお母さんに電話しました。あの時は本当に怖かった。電車って普通に乗れるものだったのに、急に“逃げられない場所”に変わってしまったから」
映画館も、美容院も行けない。扉が閉まり、自分の意思で外に出られない空間すべてが敵になった。
「周りに気づかれないように、じっと耐えるしかないんです。でも、心の中はパニック。電車も混んでいない、ただの夕方の車内なのに、私にとっては檻の中に閉じ込められたような感じですよね……。そこからですね、もう公共交通機関には一切乗れなくなりました」
高校生の頃、彼女は一度、ゴルフを完全に手放している。
「ゴルフも、もう面白くないとなってしまって……。何もできないから生きづらさはありましたね。それでお父さんとお母さんに『もう、道具はいらないから捨てといて』と言ったんです。7か月間、一切クラブを握りませんでした。ゴルフで学校に行っていたから、勉強もできないし大学も行けない。介護や管理栄養士の専門学校を調べたりしていました。辞めた先の未来なんて、当時は何も見えていませんでした。ただ、この“生きづらさ”から逃げたい一心だったんです」
ライブの帰り道に「もう一回ゴルフをやる」、両親は涙

そんな彼女の人生を再び動かしたのは、厳しいトレーニングでも最新の治療でもなかった。
高校3年の春、友人に誘われて行った横浜アリーナでの「Sexy Zone」(当時)のライブだった。
「日付まで覚えてます。5月の連休でした。5周年記念の感動的なライブで、メンバーも泣いていて。そこで中島(健人)さんが言った言葉が刺さったんです。『これから先、辛いことや苦しいこともあると思うけど、絶対大丈夫だよ』って。その瞬間、なんか全部がつながった感じがして。自分も中島さんみたいに、誰かの人生を変えられる人間になりたいって、直感的に思ったんです。あのライブがなかったら、私は今ここにいません」
帰り道、彼女は両親に「もう一回ゴルフをやる」とLINEでメッセージを送った。それを見た両親が家で泣いていたことを、彼女は後から知らされた。翌日から練習を再開。驚くべきは、そのわずか3か月後の8月、「日本ジュニア」で優勝するという漫画のような劇的復活を遂げたことだ。
「周囲からは『本当に辞めてたの?』と疑われました(笑)。『密かに練習してたんじゃないか』って。でも、本当にやってなかったんです。一度リセットされたのが、逆に良かったのかもしれません」
2018年のプロテストに合格し、華々しいキャリアをスタートさせた菅沼だったが、そこで新たな現実に直面する。女子ツアーは毎週のように開催地が変わる「移動のスポーツ」であるということだ。
「プロの試合がこんなに移動があるなんて、なるまで知らなかったんです(笑)。アマチュアの時は近場しか出ていなかったので、『沖縄は出られないけど、他は出られるし』って思っていたら、蓋を開けてみたら埼玉、熊本、千葉、宮崎……。こんなにやると思ってなくて、ちょっとびっくりしました」
飛行機や新幹線が使えない彼女にとって、移動はすべて車だ。しかし、車にも「渋滞」という天敵がいる。
「高速道路で事故渋滞が起きると、逃げ場がないから心臓がバクバクして過呼吸気味になるんです。だから、私は常に“逃げ道”を確保しています。渋滞が見えたらすぐに降りる。高速道路のサイトはたぶん、私が日本で一番見てるんじゃないかってくらいチェックしています(笑)」
彼女の頭の中には、今や日本中の道路地図が叩き込まれている。
「インター間の距離や、事故が多いポイント、トンネルの長さまで、今では“高速道路オタク”ですよ。例えばアクアライン。あそこは急な事故で動かなくなったら終わりなので、絶対に通りません。大井松田や上野原といった渋滞の名所も避けます。混んでいたら、あえて遠回りをしてでも安心できる山梨周りのルートを選ぶ。中央道のほうが通行料が高いことも分かってます(笑)」
昨年は試合会場の宮城・仙台から次の会場となる福岡まで車で移動した。途中、石川・金沢で1泊しての移動だが、それでも1500キロの移動距離は「過去最長!」と笑い飛ばしていた。そんな苦労を苦労と思わぬ、底抜けの明るさが彼女の性格でもある。
海外メジャーへの憧れも「今はできることに集中する」

もちろん、一人のアスリートとして葛藤がないわけではない。海外メジャーへの憧れ、芝の違いを経験したいという本音は今も胸にある。
「全米女子オープンとか、行ってみたいですよ。芝の違いも経験したいし、空気感も味わいたい。でも、今は“ないもの”として考えるしかない。うらやましい気持ちはあるけれど、国内で何ができるかを考えるほうが健全。できないことより、できることに集中する。それしかないです」
過去には、どうしても出場したかった北海道の試合のために、睡眠薬を使って移動を試みたこともあった。
「新幹線に乗る前に睡眠薬を飲んで、寝ている間に北海道に着く状況を作ろうとしたんです。でも、緊迫した状況だと薬が効かない。心臓がバクバクして『絶対無理!』となって、非常停止ボタンを押して降りました。救護室に行った途端に薬が効いて意識がなくなったんですけど……。結果的に周囲の方にご迷惑をおかけして大変申し訳なかったのですが、あの時、『あ、睡眠薬じゃ無理なんだ』と悟りました」
治療にも簡単な答えはない。ドーピング規定の問題もあり、薬に頼ることは勝負への影響も大きい。「治したい」という願いと、「競技を続けたい」という意志。菅沼はその狭間で揺れながら、それでも今できる最善を選び取ってきた。
さらに病気の公表には、当初迷いがあった。最初は言いたくなかったという。
「でも、絶対におかしいじゃないですか。北海道や沖縄の試合にだけ出ないのは。結果的に公表して良かったです。私の記事を見て『自分もそうだったんだ』と気づいた人や、『言いづらかったけれど、頑張っている姿を見て元気が出た』と言ってくれる人がたくさんいて。今は、発信して完全に良かったと思っています」
制限がある中で、どう幸せを見つけ、どう結果を出すか。菅沼の戦いは、単に「ゴルフができるかどうか」ではない。恐怖を抱えたままでも、自分らしく生きられるという事実を、彼女は自分の体で証明し続けている。
■菅沼 菜々 / Nana Suganuma
2000年2月10日生まれ。東京都出身。あいおいニッセイ同和損保所属。父の影響で5歳からゴルフを始め、名門・埼玉栄高に進学。17年の日本ジュニアゴルフ選手権を制覇し、翌18年のプロテストに一発合格した。プロ2年目の20年シーズン開幕前に、不安障害の一種である広場恐怖症を抱えていることを告白。飛行機や新幹線などの公共交通機関の利用が難しいため、車で移動可能な大会のみに参加している。23年8月のNEC軽井沢72ゴルフトーナメントで悲願のツアー初優勝。10月のNOBUTA GROUPマスターズGCレディースも制して2勝目を挙げた。24年はシード権を失う苦しいシーズンとなったが、25年5月のパナソニックオープンレディースで約1年半ぶりの復活優勝。アイドル好きとしても知られ、今年2月には「君の救世主になりたくて!」でCDデビューを果たした。
(金 明昱 / Myung-wook Kim)
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