Home

「INTERVIEW / COLUMN」記事一覧

突然の貧血で「一切走れなくなり…」 大学時代の自炊で芽生えた“自分を管理する”意識――バスケットボール・林咲希選手

「INTERVIEW / COLUMN」記事

  

突然の貧血で「一切走れなくなり…」 大学時代の自炊で芽生えた“自分を管理する”意識――バスケットボール・林咲希選手

著者:長島 恭子(W-ANS ACADEMY編集部)

2026.02.27

コンディショニング

食事

自身のキャリアを振り返りながら、食事管理の重要性について語った林咲希選手【写真:増田美咲】
自身のキャリアを振り返りながら、食事管理の重要性について語った林咲希選手【写真:増田美咲】

「ピリオダイゼーションに合わせた食事」特集・林咲希選手(バスケットボール)インタビュー前編

 競技スポーツにおいて1年間を期分けし、それぞれの期間に適したトレーニングや食事プランを実施することを、ピリオダイゼーションといいます。ピリオダイゼーションに従った食事は、トップアスリートはもちろん、部活動生にとっても、体調を整え、運動パフォーマンスを発揮するうえでプラスになります。今回は「ピリオダイゼーションに合わせた食事」特集として、バスケットボール・富士通レッドウェーブの林咲希選手(日本代表・元キャプテン)にインタビュー。前編では貧血や疲労骨折の経験から、食生活についてどのように考えるようになったのかを聞きました。

 ◇ ◇ ◇

――今回は林選手の食生活について、お話を伺います。林さんは小学生からバスケットボールを続けていますが、小さい頃はよく食べるほうでしたか?

「ものすごく食べましたね(笑)。小学生の頃はすぐにお腹が空いてしまい、お弁当を2個食べるほど。好き嫌いもほとんどありませんでした。中学生になると食事量も落ち着きました。たぶん、休み時間に外で遊ぶこともなくなり、体を動かすことが少なくなったからかもしれません。でも、バスケは部活のほか、夜、クラブチームで練習をしていたので、夜練の前には必ずおにぎりを食べていました。そのあたりは親がきちんと考えてくれていたので、必要な量は自然と食べていたと思います」

――中学・高校時代に体重・体形の変化で悩んだことはありますか?

「それはなかったです。高校3年時に部活で体脂肪率を計れる体組成計が導入されましたが、何のために計るのかはよくわかっていなかったです(笑)。ただ、2年生の時に重い貧血になりました。私はそれまでずっと走れるタイプの選手でしたが、ある日、部活の練習中に一切、走れなくなったんです」

――何の前触れもなく?

「はい。走り出したものの、突然、脚が動かなくなってしまった。すぐにコーチやトレーナーが『おかしい』と気づいて病院で検査をすると、貧血と診断。輸血が必要なくらい重症だったので、練習を休まないといけない時期もありました。でも治療後は以前よりも走れるようになり、バスケがすごく楽しくて嬉しかった。その時、ケガと違って目に見えなくても、体にはこういうトラブルが起こるのだと学びました」

――貧血になった後、食事を意識するようになりましたか?

「食事が貧血に関係しているという自覚がまったくなかったので、それはなかったですね。たぶん、母は考えてくれて、ほうれん草やレバーを使った料理も出してくれましたが、レバーが苦手で積極的には食べなかったです。

 食事に対する意識が変わったのは、白鷗大学に入学後、一人暮らしを始めてからです。実家から通っていた頃と違い、毎日、自分で作って、食べて、動くわけですから、『自分のことは自分で管理しなきゃな』と考えるようになりました」

栄養バランスを見直すきっかけは五輪後の疲労骨折

疲労骨折をきっかけに、「栄養バランスを整える」ことの重要性に気づいたと明かす【写真:増田美咲】
疲労骨折をきっかけに、「栄養バランスを整える」ことの重要性に気づいたと明かす【写真:増田美咲】

――授業に部活動もあるなかで、「自炊が面倒だな」とか「ツラいな」と思ったことは?

「部活はハードでしたが、料理は好きだったので、面倒だと思ったことはありません。実家のご飯が好きなので親に作り方を聞いて、朝からご飯、おかず、味噌汁を揃えていましたね。買い出しも授業と授業の間の空き時間に行けたし、時間的に追い込まれる感覚もなく、自炊生活を楽しんでいました。

 むしろ毎日、部活漬けの夏休み中のほうが時間がない(笑)。幸い、バスケ部は大学の強化指定部だったので、当時は朝昼晩、寮の食堂で食事を出してもらえたので助かりました」

――自炊するようになり、どんなことを意識して食事をするようになりましたか?

「体重だけは重くならないようにしよう、と意識していました。これは今も変わっていません。自分は感覚を重視するタイプ。『練習前の体重がこのぐらいが体も重くなく、動きやすい』という数値があったので、それ以上にも以下にもならないよう意識していました。でも、思い返してみると『何を食べるか』までは意識していなかったですね」

――では、「何を食べるか」、つまり食事の内容・栄養に目を向けるようになったのはいつからでしょう?

「2021年、東京五輪後に足部を疲労骨折したことがきっかけです」

――前所属チーム(ENEOSフラワーズ)の時ですね。

「そうです。当時は月1で体脂肪率を計っていましたが、その影響でいつの間にか、体脂肪の数値ばかり気にするようになっていました。結果、体重・体脂肪が増えないようにと、ごはんもおかずも『減らして、減らして』という方向に突き進んでしまったんです。

 さらに疲労骨折で入院中とリハビリ期間に、食べる量が減ります。というのも『まったく体を動かしていない』という思いから、一食の食事はご飯120グラムにおかず1品とみそ汁、そして果物と、かなり食事量を抑えていたんです。でも、知人を介して紹介された栄養士の方に、『運動量に見合わないほど、ご飯や食事の量が少ないのも疲労骨折になる要因。栄養バランスを整えたいから、まずはもっと食べようね』と言われました。その時に初めて、『私は食べる量も栄養もすごく足りなかったんだ』と知りました。

 リーグでも年に一度、栄養相談を受けられるのですが、これをきっかけに、自分は継続して食事を見てもらう必要性を感じました。そこで初めて、個人的に栄養士さんをつけることを決めました」

(後編へ続く)

■林 咲希 / Saki Hayashi

 1995年3月16日生まれ、福岡県出身。ポジションはシューティングガード(SG)。ミニバスのコーチを務めていた父親の影響で、小学2年からバスケットボールを始める。精華女子高卒業後、2014年に白鷗大に進学。SGとして起用されるようになり、3ポイントシューターとして活躍。4年時にはインカレで優勝し、大会MVPと得点王を受賞した。大学卒業後、WリーグのJXサンフラワーズ(現ENEOSサンフラワーズ)に入団。23年、富士通レッドウェーブに移籍し現在に至る。初の日本代表入りは19年。21年東京五輪では準々決勝(ベルギー戦)の試合終了間際に3ポイントシュートを決めるなど、日本バスケットボール史上初の銀メダル獲得に貢献。24年パリ五輪ではキャプテンとしてチームを率いた。コートネームは『キキ』。

(W-ANS ACADEMY編集部・長島 恭子 / Kyoko Nagashima)

SUPPORTERSサポーター