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「男性の体と違うこと受け入れて」 実は女性に多い膝の怪我、サッカー永里亜紗乃の提言

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「男性の体と違うこと受け入れて」 実は女性に多い膝の怪我、サッカー永里亜紗乃の提言

著者:浜田 洋平

2023.08.11

怪我

「女性アスリートと膝の怪我」について語った永里亜紗乃さん【写真:荒川祐史】
「女性アスリートと膝の怪我」について語った永里亜紗乃さん【写真:荒川祐史】

元なでしこジャパン・永里亜紗乃さんが語る「女性アスリートと膝の怪我」

 「女性アスリートと膝の怪我」。女子サッカーの元なでしこジャパン・永里亜紗乃さんは、現役時代に膝の故障に悩まされ、計3度の手術を経験。医者から「歩けなくなる」と言われ、27歳の若さで引退した。サッカー選手に限らず、男性に比べて女性アスリートに膝の怪我が多いことはあまり知られていない。永里さんは実情を明かし、性差が考慮されていない今のトレーニング方法、日本の同調圧力の中でも発信する大切さなどを語ってくれた。(文=W-ANS ACADEMY編集部・浜田 洋平)

 ◇ ◇ ◇

「このままサッカーを続けていたら歩けなくなる」

 26歳の夏。医者に突きつけられた現実は、重かった。

 永里さんは10代から世代トップクラスで活躍し、各年代で日本代表を経験。攻撃的なFWとして、2012年なでしこリーグでは18試合19得点でベストイレブンに輝くと、強豪ドイツに渡った。しかし、プレー中の着地のミスが原因で、高校生で左膝、大学生で右膝を痛め、ともにメスを入れた経験がある。

 2015年6月のカナダW杯では、1学年上の姉・優季とともに日本代表入り。なでしこ初の姉妹同時出場も果たしたが、当時の膝は「ギリギリの状態だった」という。

 所属クラブに戻った時には練習に参加できないほど。住んでいた部屋は4階だったが、エレベーターがなかった。「階段を上るのも降りるのも痛くて、苦痛でしかない。練習場に行くのが億劫になるくらいでした」。日独で検査を受けたものの、診断名はなし。長年の負荷が蓄積し、軟骨が剥がれていることで慢性的に痛みが生じていた。

「そこでドイツのドクターに『慢性的なものだから、このまま続けていたら歩けなくなるよ』と言われました。日常生活で何をしても痛かった。この痛みが死ぬまでなくならないのか、と。そうしたら、段々と心も痛んできて『こんなに痛いの? じゃあ、ずっとこの生活……』となったら、もうサッカーどころじゃない。思う存分できない状況だったので、医者から聞いた時は言葉が素直にスッと入ってきました」

 同年9月、剥がれた軟骨のクリーニング手術を日本で受けた。しかし、痛みはあまり変わらず。「思いっ切りサッカーができないとなった時に、そこまでしがみついてやっていてもなと思いました。ベストプレーができない方がつらい。歩けなくなって、将来的に車椅子になったらますます大変」。翌年4月に27歳の若さで引退を発表した。

 サッカーに限らず、実は女性アスリートは男性に比べて膝の怪我が多い。なぜ、男女の性差で違いが生まれるのか。

 骨盤幅が広く、内股となる骨格が理由の一つ。切り返し、ジャンプの着地、緩急のある動きの繰り返しなどの際、膝が内側に入りやすい。すると、膝周りへの負荷が大きくなり、膝の前十字靭帯損傷や膝蓋骨脱臼に繋がる。男女で筋肉特性も違う。月経に伴う周期的な体調変化も一つだ。運動の刺激に対して体内で起こる反応に性差が生じることは、多くの研究によって報告されている。

 しかし、「女性アスリートと膝の怪我」の実情は、世間で広く認知されているとは言えない。永里さんも「もの凄く多いですね」と実感がある。ただ、怪我とは無縁だった10代の頃は、教科書で学ぶ程度の知識しかなく、故障の原因や具体的な予防策などを知る機会はなかった。

「自分から踏み込んで聞くようなこともない。自分がこうなりやすいから、じゃあこういうトレーニングをしようと言われたこともないですね。いま思い返せば、言われたことを淡々とやって、何のためにやっているのか、このトレーニングが本当に自分の体に必要なのか、というところまで考えられていなかった。全く痛みもなく動けているし、若さゆえに元気もあって、自分の体に興味もなかったと思います」

 元気いっぱいに動けている時には気づかない。しかし、思ってもみないような怪我は突然やってくる。その時になって初めて大切な知識に出会うことが多い。永里さんは「チームのトレーナーから一つの考え方を聞けるけど、他にもいろんな考え方、選択肢がある。女性アスリートにとって、他のものに触れる機会は少ないのかなと思います」と現役時代を振り返った。

今も見聞きする女性アスリートの膝の怪我に駆け巡る想い

現役時代の永里さんの膝、引退間際は日常生活も痛みが出ていた【写真:本人提供】
現役時代の永里さんの膝、引退間際は日常生活も痛みが出ていた【写真:本人提供】

 トレーニングメニューの作成において、性差が考慮されていないことが多いのも女性アスリートが怪我をする要因。男性中心だったスポーツ界の歴史的背景から、トレーニングの裏付けとなるデータのほとんどは、男性アスリートの被検者から導かれてきた。一方、月経周期を考慮したスポーツにおける女性の体の研究は不足している。

 永里さんも「同じ結果が得られないのに、男性と同じメニューをしているから女性の体の長所を生かせていない」と肌身で感じた。ドイツで13年から3シーズンプレー。体の大きい海外の女子選手は、男子のメニューにも取り組むことができていた。

「海外の女子選手も体のつくりが日本人と違う。日本人特有の体に合ったものをやらないと戦えない、と改めて感じました。海外でリハビリをした時も『これは自分がやって意味があるのかな』と思うくらい、自分に合っていないものもあります」

 強豪国で行われている練習だからといって、全てを日本人に取り入れてしまうことは危険性を含んでいる。研究が進んでいる国では、良いとされるものも多い。ドイツでは怪我をした選手に対し、複数のリハビリメニューが提案されていた。「海外選手は体が大きい分、反動で怪我も多いのですが、それでもすぐに復帰する。自分に合ったものをチョイスできる環境は整っている」と説明した。

 自発的に考え、知識を蓄えながら自分に適切なものを選んでいくことが大切。ただし、怪我をしたことがない選手、中高生年代の選手に自発的な姿勢を求めることは簡単ではない。だからこそ、永里さんは「体の構造から何から女性は複雑だと思うんですよ。まだ今は男性トレーナーの方が多いと思いますが、トレーナーの方から女性の性格などを把握しながら、もう少し誘導してもらうようなことも必要」と願う。

 自分に合ったものを選びたい一方で、日本特有の課題にぶつかる。中高生や実績の乏しい若い選手にとって、言われたメニューはやらなきゃいけない、「私はこう思う」と発言しづらい空気があるのではないか。この問いに対し、永里さんは大きく頷いた。

「これは女子だからというよりも、日本の文化的に同調圧力がまだまだ強い部分があるので、線引きが難しいですよね。みんなで一緒にやらないといけないことも絶対にある。けど、体のことになったら、もう少し自由にできるような風潮になっていかないと、これから先どのスポーツでも他の国に勝っていけないんじゃないかと思います」

 引退した今、後輩たちやバスケットボール、ラグビーなど他の競技の選手が自身と同じ怪我に泣き、苦しむニュースが飛び込んでくることがある。そのたびに「まだまだ自分の体のことを知らないのかな」「自分のプレースタイルの特徴を自分でコントロールできていないのかな」「もう少し膝の使い方をうまくしていれば、ターンできる膝になるのに」なんていう想いが駆け巡る。

 あの頃の自分にも知識があれば、防げていたかもしれない。

「みんなと同じではなく、自分の特徴に対して足りないものを補えれば、もう少し怪我が減るんじゃないかなと。怪我をした時が大事なことに気づけるタイミング。そこでどういうトレーナーに出会うか、どういう情報を得るのか。引退する数年前に聞いたのは、体のバランスを考えること。体のどこを使うとどう動くのか、本当に細かいことをやり始めました。でも、癖ってなかなか直らない。これを早くに知って自分の悪いところを直せていたら……とは思います」

 前もって知識があるだけで、苦しい日々と出会うことがなかったかもしれない。もう数年、自由にピッチを駆け回ることができたかもしれない。自分が出会った人、サッカーに全身全霊を懸けた日々を否定しているのとは全く違う。ただ、人生にタラレバは尽きない。

 引退から2年後の18年4月、29歳で女の子を出産。今は2人目も妊娠中だが、膝の影響は「ずっとあります」と笑う。妊娠中は体重が増え「ずっと膝がギシギシいっちゃうんです」と痛みを感じる一方で、散歩も必要。痛みと付き合いながらの生活だ。

 引退後に受けたMRI検査では「これ、いつも来るおばあちゃんと同じ足だよ」と言われ、“膝年齢80歳”であることが判明。それでも、第二子妊娠前はサッカーもできていた。「軽くだったら蹴られる状態。これで軽くすらできなかったら、趣味がなかった」。何より幸せを感じるのは、2歳の娘と遊んでいる時間だ。

「子どもと走れている時、一緒になってアスレチックに登れている時はよかったなって思います。痛かったらできない。私はスパッと辞められたから、ある程度若いうちに出産もできた。いま思えば、引退するタイミングはよかったなって思いますね」

「女性アスリートはもう少し自分の体を知って」

W杯に出場するなど、日本代表として活躍した永里さん【写真:Getty Images】
W杯に出場するなど、日本代表として活躍した永里さん【写真:Getty Images】

 永里さんは26歳で無理をやめたから、健康を保ち、充実した今がある。「引退した後の人生の方が長い」と言う大人たちのセリフは正しいのかもしれない。でも、私は中学で、高校で競技を辞める。そんな選手が「一生怪我が残ってもいいから、この一瞬に全てを懸けたい」と訴えてきたらどうするのか。

 正解の見えない難題。永里さんは一瞬だけ間をおいた。「一人ひとりに合ったトレーニングを」と説くからこそ、本気で向き合った意見だった。

「先のことを考えずに今を判断してはいけないと思います。でも、80年くらいの人生を考えた時、それでも今が一番大事だと判断したのであれば、その瞬間に全てを懸けた方がいい。それなら後悔なく痛みと向き合える。『ただ、代償はデカいぞ』って言う必要もあります。だから、周りの大人は隠さないでしっかり全てを教えてあげる。このまま続けたらどうなる可能性が高いか。その上で最後に自分で判断してもらうのが大事だと思います」

 もし、その選手が自分の娘だったらどうしますか。意地悪な質問にも、親目線となった永里さんの考えは変わらない。

「思う存分やりなさいって言いますね。究極、いつ死ぬかなんてわからないじゃないですか。だったら、もう後悔ないように。ただ、『こうなるかもよ』というのはしっかり言ってあげたい」

 アスリートに怪我はつきものだと言われる。だが、苦しい日々が少ないに越したことはない。今もなお膝の痛みと付き合い続ける永里さんは、幅広い世代の女性アスリートたちに“ちょっとした発信”を願った。

「女性は男性より下に見られがちな時もありますよね。なぜ、それがなくならないのか。どうしたらもっとしっかり一人のアスリートとして見てもらえるのか。それを考えた時、女性アスリートはもう少し自分の体を知って、男性と違うということを受け入れて、しっかり自分で発信していかない限りは、周りの見る目も変わらないんじゃないかなと思います。

 女性の体はこうだ、女性にはいろんな問題があるんだ、ということを発信していかないと、サポートしてくれる人も、どういう問題がこの選手に起きているのかわからないと思います。言われたことは一生懸命やるけど、言われないとやれない人がまだまだ多い。女性アスリート側も“言われ待ち”ではなく、逆にトレーナーに質問するとか、この動きを改善したいとか、もっと自分から発信してトレーニングを変えていけるような女性アスリートになっていってほしい」

 強い意思の込められた元日本代表の言葉を聞くと、少し大きな要求にも感じるが、別に問題提起や一石を投じることを求めているわけじゃない。周囲の大人も良い距離感、信頼関係を築いていく努力が必要。一方、プロや中高生など競技レベルに関わらず、選手自身も「この練習は何のために?」とちょっとした疑問を言えるようになってほしいだけだ。

「普段の会話でもう少しフランクに聞けることが大事かなって。自分が正しい、間違っているとかではなく、まず一つ一つに疑問を持つ。それを質問で伝える。それって競技レベルは関係ないですよね。『この雰囲気が普通だよ』となってくれれば、トレーナーも互いにレベルアップできそう。だから、まず疑問を持つところからです」

 まずは自分から。今を生きる女性アスリートの一歩が、未来を作る。

【「膝の怪我」について語った永里亜紗乃さんが未来に望む「女性アスリートのニューノーマル」】

「競技生活の時間はある程度決まっていると思うので、何歳くらいまでやるのか、なんとなくでいいから考えておいた方がいいと思います。出産したくなった時、何歳まで現役を続けるのか想像していなければ、『いつ産むの?』とタイミングがどんどんわからなくなっていく。それでアスリートは高齢出産の人が多いと思うんですね。現役の途中で産むという選択も、もっともっと増えてもいい。そういう選択ができるよう、イメージでいいので何歳くらいまで競技をやって、これくらいに出産できたらいいなと。なんとなく想像して日々を過ごしていった方が、もう少しスムーズにいくと思います」

■永里亜紗乃 / Asano Nagasato

 1989年1月24日、神奈川県厚木市生まれ。ポジションはFW。兄・源気、姉・優季もサッカー選手。各年代で日本代表を経験し、2007年にユースから日テレ・ベレーザに昇格。12年なでしこリーグカップでは6試合4得点でMVPを獲得し、優勝に貢献。リーグでは18試合19得点でベストイレブンと敢闘賞を受賞。13年からドイツ・ブンデスリーガ1部の1.FFCトゥルビネ・ポツダムへ移籍。15年カナダW杯のエクアドル戦では姉妹同時出場。日本代表では通算11試合で1得点。16年4月に引退し、現在は解説などで活動している。

(W-ANS ACADEMY編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)

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