「INTERVIEW / COLUMN」記事
知っておきたい「自分の取扱説明書」 緊張と“仲良くする”ための大切な考え方――フィギュアスケート・鈴木明子さん
著者:長島 恭子(W-ANS ACADEMY編集部)
2025.12.20
コンディショニング

特集「アスリートの緊張対策」・鈴木明子さん(フィギュアスケート)インタビュー
アスリートたちが日頃の鍛錬の成果を見せる機会は、決して多くありません。元フィギュアスケート女子シングルの鈴木明子さんは現役時代、2大会連続で五輪入賞を果たしたほか、世界選手権3位、日本選手権3位などの実績を残すなど、極限の大舞台で力を発揮してきました。もともと緊張しやすいタイプだったという鈴木さんは、どのようにして重要な試合に向き合っていたのでしょうか。キャリアの中で心境に変化が生まれたきっかけや、“緊張との付き合い方”について聞きました。
◇ ◇ ◇
――鈴木さんはフィギュアスケーターとして、23年間の競技生活を送りました。現役時代は、うまく緊張をコントロールできるタイプの選手でしたか?
「いえいえ、私は試合に限らず、今でも人前で話す時や、新しい仕事に取り組む時も緊張するタイプ。それこそ、保育園児の頃から運動会などのイベントがあると緊張でお腹が痛くなるタイプだったんです(笑)。現役時代はむしろうまく対処できず、常に緊張との戦いでした。初めてスケートの試合に出場したのは確か7歳の時ですが、その時から一度として緊張しなかった大会はありません」
――最初の試合からずっとですか?
「はい。特に10代で国際大会に派遣されるようになると、試合前に緊張すると必ず胃が痛くなりました。痛みがあると、どうしてもそこにギュッと力が入ってしまう。胃の裏側にあたる背中までガチガチに硬くなってしまい、よく母にほぐしてもらっていましたね」
――緊張が演技や成績に悪い意味で影響したと感じたことはありますか?
「それはもう、本当にたくさんあります。例えば手足の震えが止まらなくなったり、緊張で手が冷たくなったりして力がうまく入らず、その結果、ジャンプを失敗したり、練習では一度もしたことのないミスをしてしまった経験は山ほどあります。むしろ、緊張でうまくいかなかった出来事が多かったぐらいです」
――緊張の影響が体に強く出ていたんですね。
「高校生の頃から完璧主義なところが強く、『できない自分』を受け入れることができませんでした。また試合の時はいつもリンクから逃げ出したいほど緊張していたうえ、どう対処すればいいかわからなかった。『緊張する=うまくいかない』と決めつけて、必要以上に自分にプレッシャーをかけていたんです。でも、18歳で摂食障害を経験し、競技に復帰した後、その考え方が少し変わりました。
私は大学入学時に摂食障害を患い、体重が48キロから32キロまで落ちてしまい、5か月間、リンクから離れていたことがあります。その間、大好きなスケートができないどころか、大学にも行けず、ただ自宅にこもる日々を送っていたんですね。
それだけに復帰後は『スケートができる』だけで幸せでした。相変わらず緊張はしたけれど、『できない自分』を許せるようになり、徐々に『緊張と仲良くできたらいいな』と思えるようになりました」
――「緊張と仲良くする」ために、どのようなことを意識しましたか?
「スポーツではよく『本番を楽しみなさい』と言われますよね。でも昔の私は、『こんなすごい緊張の中で楽しむなんて、意味が分からない!』と思っていました。摂食障害から復帰した後、コーチに言われたのが『本番を楽しむためには、その資格が必要なんだよ』という言葉です。資格とは、『練習を積み重ねてきた』という『根拠』を持つことです。
やはりきちんと練習を積み重ねていないと、『この大会でどれだけ力を発揮できるのだろう?』というワクワクする余裕は生まれません。『自分は日々、しっかり練習してきたんだ』という“根拠”があって初めて自信が生まれるし、『楽しんできてもいいよ』というチケットが渡されるんだ、と感じました。
本番を楽しめるかどうかは自分次第。そのことをきちんと理解できるようになり、まずは自分との約束をしっかり守ろう、と決めました」
――具体的にどんな約束をしたのでしょう?
「『その日にやると決めたことをやり切る』という約束です。私の場合、自信をつけるためには自分が納得するまで、数多くの練習をこなすことが大事でした。自分のなかで『あれができなかった』『もう少し追い込んで練習すればよかった』という思いや不安があると、どうしても本番で綻びとなって出てしまうからです。
人間ですから、時には自分に甘くなったり、弱くなったりしますから『今日はもうこれ以上はやりたくないな』という日もあります。でも、そこで妥協せず『もうひと頑張り』してみる。その積み重ねによって、すごく緊張した状態でも無意識に体が動ける状態まで追い込むことができ、緊張に操られるのではなく、自分で操れるようになるんだと気づきました」
“もうひと頑張り”の継続が実を結んだ全日本選手権

――その成果を実感した試合はありますか?
「その集大成といえるのが、五輪シーズンの全日本選手権(以下、全日本)です」
――鈴木さんはバンクーバー(2010年)、そしてソチ(2014年)と、2大会連続で五輪に出場しています。ともに代表の最終選考の試合にあたる全日本で上位の成績を残し、出場権を勝ち取りました。
「試合結果だけを見ると、崖っぷちに滅茶苦茶強い選手だと思われるかもしれませんが、実際は違います。全日本という大会は、全国各地の予選を勝ち抜いた選手だけが出場できる、国内最高峰の大会。それだけに、他の大会以上に自分にプレッシャーをかけてしまい、むしろ苦手意識がありましたし、いい成績を残せなかった年の方が多いんです。なかでも五輪シーズンの全日本は、ものすごい緊張のなかで迎えました」
――それでも「もうひと頑張り」を継続したことで力を出せたんですね。
「はい。特に五輪シーズンは『4年に一度しかないチャンス』という重みによって、日々の練習から追い込みをかけることができた。当時を振り返ると『今、やらなくてどうする!』というものすごい覚悟を持ち、臨んでいましたね。特に初出場となるバンクーバー五輪を決めた全日本では、『すべてを出し尽くすしかない』という強い気持ちで滑れました」
――その大会では3位の選手にわずか0.17点差をつけて2位となり、バンクーバー五輪出場を決めました。
「私たちシングルの選手は大会で、『ショート』と『フリー』の2種類のプログラムを滑り、総合点を競います。この大会では初日のショートが終わった時点で、出場権を争う選手たちがわずか1点の差でせめぎあっていた。つまりフリーでは一つのミスが結果を大きく左右する状況でした。
誰もが緊張する状況下で、私自身も精神的にすごく追い込まれていました。でも、いざその時を迎えると、吹っ切れた気持ちでフリーの演技に臨めたんです」
――まさに緊張をうまくコントロールできた試合でした。
「ところが、本番で大きな失敗をしてしまいます。フリーの演目はミュージカル『ウェスト・サイド・ストーリー』。主役であるマリアという女性を演じるプログラムでした。ところが前半は緊張から力んでしまい、ジャンプが硬かったり、成功はしても流れが詰まり気味だったりと出来がよくなかったんです。
そして、3つ目のジャンプの着氷後、つまずいて転んでしまいます。おそらくコーチは『何でこんなところで転ぶんだ!』という心境だったと思います(笑)」
――その場面を想像するだけで、緊張します……。でも、立て直すことができたんですね。
「普通なら『この転倒のマイナス点で負けるんじゃないか?』と頭によぎるのに、その時は何も怖くなかったんです。『立ち上がればいいじゃん。大丈夫、大丈夫!』みたいな感覚でした。
当時の映像を観返すと、実際、笑顔で立ち上がっているんですよね。しかも、笑顔を演じているのではなく、本当に『うっかり転んじゃった! えへへ』みたいな感じです」
――すごくシビアな局面なのに!
「そうなんです。今考えても、あの崖っぷちの状態でよく笑えたなぁと思います。でも、むしろ、転倒して笑ったことにより力みが抜けて、後半の演技はすごく出来がよかった。
あの時は『マリア』というキャラクターになりきって、スケートを楽しんでいたんですよね。マリアはきっと転んだくらいでクヨクヨしない。さっさと立ち上がり、何事もなかったように滑り出すに違いない、と。おそらく、転んだ時に『どうしよう、これでマイナス1点で負けちゃう!』と思っていたら、後半はもっとガチガチに緊張していたと思います。
演技後、リンクから上がった時、初めて転倒したことが恥ずかしくなりました(笑)」
――先ほど言っていた「無意識に体が動ける状態」だったんですね。
「そうですね。準備段階で『この日までにやれることは、全てやってきたんだ』という自信がありました。ですから緊張感はあるものの、『あとはなるようになる!』と吹っ切れたし、『ここまでやってきたのだから何でも受け入れよう』という感覚で滑ることができました」
緊張とうまく付き合うために大事な“自分の取扱説明書”

――フィギュアスケートの試合は観ている方も、例えばリンクに滑り出す直前やジャンプの前は緊張します。鈴木さんは選手時代、どのタイミングが一番緊張しましたか?
「私の場合、最初は試合の2、3時間前に緊張感がきます。『よし、メイクをしよう!』と鏡に向かった際、それこそアイラインを引く手が震えるほど緊張していましたね。
でも、緊張感ってどんなに強くても、長時間は続かないんですね。その後はリンクに上がる瞬間まで、緊張とリラックスを繰り返しながら、集中力が高まっていく。自分と向き合いながら、緊張感とともに試合に向かっていく感じです」
――まさに「緊張感と仲良くする」感じですね!
「はい。試合前に緊張して対処できない、と悩んでいる方は、自分の取扱説明書を自分で知っておくことも大事だと思います」
――取り扱い説明書?
「例えば、試合前にどうやって過ごせばリラックスできるのか。その方法をたくさん持っておくといいと思います。音楽を聴いたり、好きな動画を見たり、あるいは人と話したり。私は温かいものを飲んだり、音楽を聴いたりしながら過ごしていましたね。
また、試合直前に限らず、どんな時に自分が緊張するのかを知るのも助けになります。例えばライバルの選手のものすごい演技の動画を見たり、SNSで他の選手の情報、あるいは自分に対するコメントを読んだりすると不安や緊張が大きくなるとします。すると、練習に身が入らなかったり、逆に焦りから練習をやりすぎてケガにつながる恐れがある。この場合、試合を意識し始める数週間前から一切、見ないようにすることで、自分を守れます。
自分はどんな状態だと穏やかに、ニュートラルな状態で試合に向かえるのか? その方法をいくつも見つけておくと、緊張のコントロールに役立つと思います」
――学生選手に「アスリートに聞きたいこと」についてアンケートを取ると、「緊張しない方法を知りたい」という声が多く寄せられます。鈴木さんはどうすればよいと考えますか?
「その質問は講演会などでもすごくよく聞かれます。あくまで私の考えですが、『緊張しちゃいけない』と考えると、最大の力を出せなくなると思っています。そもそも緊張も力を発揮するために必要な1ピース。試合に向かう気持ちのパズルに、『緊張』という最後のピースがカチッとはまると、『よし行ける!』という気持ちが高まる。緊張によってエンジンがかかると捉えています。
試合で緊張するのは、自分が本気で競技に向き合ってきた証拠です。力を尽くしたのであれば、『緊張してはいけない』と考えるのではなく、『自分のベストの演技をしよう』『今、力を出し切ろうとしているんだ』という風に捉えてみてください。
どんなトップアスリートであっても、緊張はします。でも、その緊張を力に替えていくことで緊張に振り回されていた自分から抜け出すことができ、自分の持つ力を最大限発揮できるのだと思います」
(W-ANS ACADEMY編集部・長島 恭子 / Kyoko Nagashima)
Suzuki Akiko
鈴木 明子
フィギュアスケート
1985年3月28日生まれ。愛知県出身。6歳からスケートを始め、2000年に15歳で初出場した全日本選手権で4位に入り、脚光を浴びる。東北福祉大入学後に摂食障害を患い一時休養。2004年に復帰後は2009年の全日本選手権で2位になり、24歳で初の表彰台。2010年バンクーバー五輪8位入賞。以降、2012年世界選手権3位、2013年全日本選手権優勝などの実績を残し、2014年ソチ五輪で2大会連続8位入賞。同年の世界選手権を最後に29歳で現役引退した。現在はプロフィギュアスケーターとして活躍する傍ら、全国で講演活動も行う。姉妹サイトであるスポーツ文化・育成&総合ニュースサイト『THE ANSWER』の女子とスポーツコーナーでは、スペシャリストとしてインタビュー連載やイベントに出演し、女性アスリートが抱える課題について積極的に発信している。
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