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「何のために競技を続けているのか」 心折れた高卒3年目、バレー荒木絵里香を救った恩師の問いかけ

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「何のために競技を続けているのか」 心折れた高卒3年目、バレー荒木絵里香を救った恩師の問いかけ

著者:W-ANS ACADEMY編集部

2024.11.12

「W-ANS ACADEMY 部活動キャラバン」でインタビューに答えた荒木絵里香さん【写真:中戸川知世】
「W-ANS ACADEMY 部活動キャラバン」でインタビューに答えた荒木絵里香さん【写真:中戸川知世】

元バレーボール女子日本代表・荒木絵里香さんが明かした若き日の苦悩

 調子や気持ちが落ちたり、怪我をして練習や試合から離れると、チームメートやライバルのことが余計に気になり、焦ったり落ち込んだりしてしまう……。そんな経験、ありませんか? 実は五輪に4度出場した元バレーボール女子日本代表の荒木絵里香さんも、かつては「うまくいかない」自分と活躍するチームメートの姿を重ねては苦しみ、その環境から逃げ出したい思いに駆られたことがあったといいます。

「何のために競技を続けているのか?」。荒木さんを救ったのは、そんな高校時代の恩師の問いかけでした。

 10月初旬、「W-ANS ACADEMY 部活動キャラバン」のゲストアスリートとして宇都宮文星女子高(栃木県)バレー部を指導。現役高校生たちと触れ合った会場で、長年にわたって荒木さんを支えたという、その『答え』について話を伺いました。

 ◇ ◇ ◇

 私がバレーボールを始めたのは、小学5年生の時です。当時の身長は170センチ。陸上競技や水泳もやっていましたが、「背が高いし、やってみたら?」と母親や周りの人に勧められたのがきっかけです。

 ところが練習に参加してみると、ボールがまったく、真っすぐに飛ばない。「バレーボールって難しい。私も、ほかの子たちのようにうまくなりたい」。その一心で、バレーにのめり込んでいきました。

「将来はバレーボール選手になりたい」と本気で考えるようになったのは、高3の時。春高バレー(全国高等学校バレーボール選抜優勝大会。現・全日本バレーボール高等学校選手権大会)で初めて、全国優勝したことがきっかけです。

 私が通っていた成徳学園高(現・下北沢成徳高)は、当時からバレーボールの強豪校でした。でも、1、2年生の時は全国大会に出場するものの、2、3回戦で敗退するなど、全然勝てなかったんです。

 最高学年でやっと掴んだ日本一。チームみんなで目指してきた目標が叶った瞬間、全身に鳥肌が立ち、心がプルプルッと震えたんですね。「バレーボールを通して、こんな気持ちをもっと味わってみたい。もっと高いレベルに挑戦したい」。そう思った私は、Vリーグ(現・SVリーグ)、日本代表、そして海外リーグでプレーするという3つの目標を抱きました。

恩師の言葉を胸にとことん自分と向き合った日々

現役選手時代に心が折れてしまった経験を語った【写真:中戸川知世】
現役選手時代に心が折れてしまった経験を語った【写真:中戸川知世】

 実は、若い頃は自分の気分で行動が左右されてしまうような選手で、チームではトラブルメーカー的存在だったんです。

 例えば、メンバーチェンジされると不満を露わにしてしまったり、気分が乗らないと不貞腐れたり。高校時代も練習中、「やる気がないなら出ていけ!」と、チームメートに何度もコートの外に引きずり出されていましたね(笑)。

 ただ、決して、やる気がなかったのではなく、「うまくいかない自分」にイライラする気持ちを抑えられなかったんです。

 小・中学校は弱小チームでプレーしていた私は、成徳学園高に入学後、自分の力のなさを痛感します。しかも、同学年でチームメートのカナ(大山加奈)や、ライバル校のメグ(栗原恵)が、高校時代から全日本に選ばれていたこともあって、悶々とした気持ちでいたんです。 

 高校卒業後、東レアローズに入団しても、それは変わりませんでした。環境にも恵まれ、1年目から試合にも出させていただきましたが、納得のいくプレーができない自分にイラつき、負けたら大泣きするなど、すごく感情に振り回されていたんです。

 また、全日本に招集されるようになったものの、メグやカナ、そして高校の後輩のサオリ(木村沙織)たちが主力メンバーとなる一方で、私はいつも最後まで残れず。悔しさとともに、自分の力ではまだまだダメだと、くすぶった気持ちを抱えていました。

 そして、東レに入団し3シーズン目となる2005年のこと。心がポキンっと、折れてしまいます。

 21歳だった私は周囲から「まだ若いんだから頑張りなさい」と散々、言われましたが、気持ちがダウンしてしまい、もう本当に頑張れなかった。その時、助けてくれたのが恩師である成徳学園高バレー部監督の小川良樹先生でした。

「今の環境でバレーを続けるのが苦しい。逃げ出したい」。そう言う私に先生は、「絵里香は何のためにバレーをやっているの? バレーの中で一番大事にしている価値とは何か、もう一回考えてみなさい」と言われたんです。

 この時、初めて私はとことん自分と向き合いました。日々、考えるなか、パッと行き着いたのは、「そもそも、私はうまくなりたくて、バレーをやっていたんだ」ということです。チームで必要とされていないとか、試合に出られないとか関係ない。人は人、自分は自分。それを機に、常に「もっとうまくなるためにはどうすればいいか?」と考えながら、取捨選択を繰り返し、練習に取り組むように。すると、ますますバレーが面白くなり、自然とプレーも良くなっていったんです。

自分の中に軸となる目的があると「踏ん張れる」

自分自身と向き合い、軸となる「目的」にたどり着いたと語る荒木さん【写真:中戸川知世】
自分自身と向き合い、軸となる「目的」にたどり着いたと語る荒木さん【写真:中戸川知世】

 そして、翌06年のワールドグランプリ。私は初めて、全日本の試合でスタメンで出場することができました。

 以来、引退するその日まで、「上手になりたい」というシンプルな思いが、競技を続ける一番の目的になりました。

 もちろん、何度も気持ちがブレたり、グチャグチャになりましたが、そのたびに「そもそも何のために競技をやっているのか?」に立ち返る。「うまくなりたい」「うまくなるって面白い」ということに一番の価値を置いたことで、バレーボールとポジティブに向き合い、自分の成長、進化を求め続けることができました。

 誰でも頑張れなくなる時ってあります。特に競技をやっていると、試合に出られないとか、使ってもらえないとか、監督と合わないとか、みんなにあると思います。私もたくさんありましたし、いっぱいいっぱいにもなりました。でも、自分の中に軸となる目的があると、「踏ん張れる」要素になる。立ち返る場所があったことは、私にとってすごく強みになったと思います。

 そして、とことん自分に向き合い、軸となる「目的」にたどり着けたのは、小川先生に問いかけられたからだと思います。先生から答えを差し出すのではなく、自分自身で考えるよう促してくれたことに、今でも感謝しています。

(W-ANS ACADEMY編集部)

Araki Erika

荒木 絵里香

バレーボール

1984年8月3日生まれ。岡山県出身。小学5年生からバレーボールを始める。成徳学園高(現・下北沢成徳高)では高校全国3冠を達成。卒業後の2003年にVリーグ・東レアローズに入団。1年目に日本代表デビューすると、2008年北京五輪に出場(5位)、2012年ロンドン五輪は主将として女子28年ぶりの銅メダル獲得に貢献。2013年に元ラグビー日本代表の四宮洋平さんと結婚し、出産を経て2014年に復帰した。2016年リオデジャネイロ五輪(5位)に続き、4大会連続出場した2021年東京五輪(予選リーグ敗退)を最後に現役引退。引退後はトヨタ車体クインシーズのチームコーディネーター、バレーボール解説者などを務めながら、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科で知見を深め2023年3月に卒業。

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