Home

「INTERVIEW / COLUMN」記事一覧

高校時代に立てた目標「国連で働く」 恵まれない人のために…きっかけは国際大会で知った貧富の差――特集「スポーツ界で働く、スポーツで見つける将来」

「INTERVIEW / COLUMN」記事

  

高校時代に立てた目標「国連で働く」 恵まれない人のために…きっかけは国際大会で知った貧富の差――特集「スポーツ界で働く、スポーツで見つける将来」

著者:W-ANS ACADEMY編集部

2024.04.18

キャリア

国連で働くことになったきっかけを語った井本直歩子さん【写真:回里純子】
国連で働くことになったきっかけを語った井本直歩子さん【写真:回里純子】

一般社団法人「SDGs in Sports」代表理事・井本直歩子さんインタビュー

 中学時代から競泳の日本代表選手として活躍した井本直歩子さん。現役時代は子どもの頃からの夢だった五輪出場、そして高校時代に抱いた「国連で働く」という目標に向かって邁進しました。「憧れの選手に導かれた人生だった」と振り返る井本さん。今につながるスポーツでの出会いを中心に、将来に迷う学生へのアドバイスなどを伺いました。

 ◇ ◇ ◇

――井本さんは約20年間、国連児童基金(ユニセフ)の職員として働いていました。ユニセフではどんな仕事をされましたか?

「主に紛争・災害下にある子どもたちの教育支援です。スリランカ、シエラレオネ、ルワンダ、ハイチ、マリなどの被災地、紛争地や、ギリシャといった難民を受け入れる国に赴任し、平和構築、教育支援に従事しました。

 もう少し具体的に言うと、大地震や紛争で壊滅した教育現場の再建や心のケア、難民の子どもたち、帰還した子ども兵士たちの復学や女子教育の普及などです。求められる仕事は、赴任先の国や地域の状況により多岐に渡ります。

 これらの国々では、多くの子どもたちが教育の機会を失っているのが実情です。その結果、発達が遅れるなど、人間としてのポテンシャルを活かせなくなります。

 すべての子どもには教育を受ける権利があります。どんな理由であれ、教育をきちんと受けられないことが許されていいわけがない。その怒りのパワーが、仕事の原動力になっていました」

ユニセフ教育専門官時代の井本さん。着任先のハイチの学校の子どもたちと【写真:本人提供】
ユニセフ教育専門官時代の井本さん。着任先のハイチの学校の子どもたちと【写真:本人提供】

――いつ頃から国連で働きたいと考え始めましたか?

「高校生の時です。新聞で『ルワンダ大虐殺』の記事を読んだことがきっかけでした。

 教科書などで知った方もいるかと思いますが、ルワンダ大虐殺は100日間で約100万人にのぼる犠牲者を出した、歴史に残る事件です。素手やナタで隣人をも殺害するという凄惨な事件で、ちょうど、94年広島のアジア大会に向けた日本代表の合宿中、記事を読みました。

 自分が練習をしている間も、同じ地球上で1日1万人もの人が殺されている。そのギャップにショックを受け、将来は恵まれない環境下の人のために生きたいと考えるようになりました。

 ただ、中学時代からの様々な体験から、その考えに行きついたという感じです」

――それはどんな体験でしょうか?

「一つは、競泳の日本代表チームに入った中学2年の時から、海外遠征に行く機会があり、そこで物質的な格差を感じたことです。

 私たち日本の選手は国際大会に出場する際、開閉会式用のスーツ、水着やジャージ、靴などが支給され、スーツケース2個いっぱいに詰めて行っていました。でもレースが終わってお土産を買うと、いつもスーツケースに物が入りきらなくなり、支給された物を選手村に置いて帰国していたんです。

 その度に『もったいない』という思いと、罪悪感がありました。

 前日まで同じ大会に出ていた貧しい国の選手は、レースにTシャツ一枚とボロボロの水着で現れ、ゴーグルさえも持っていなかったのに、と、至れり尽くせりの恵まれた環境を有難いと思う反面、格差が生まれる世界に疑問を抱きました。

 もう一つは、当時憧れていた競泳選手、長崎宏子さん(※)と出会いです」

 ※現スポーツコンサルタント。五輪はロサンゼルス大会(84年)、ソウル大会(88年)に出場

高校3年から「国連で働く」が目標に…まずは叶えるために必要なことを洗い出した

中学時代から日本代表として活躍していた井本さん。写真は20歳のときに出場したアトランタ五輪、4×200メートルリレー決勝時【写真:本人提供】
中学時代から日本代表として活躍していた井本さん。写真は20歳のときに出場したアトランタ五輪、4×200メートルリレー決勝時【写真:本人提供】

――長崎さんはバルセロナ五輪(92年)の前年に現役時代を引退されています。井本さんが五輪に出場したのはアトランタ大会(96年)。少し先輩ですね。

「はい。宏子さんは私にとって、本当にカッコいい、雲の上の人でした。私が高校1年のとき、ある国際大会のサポートに来てくださった宏子さんに初めてお会いしました。

 そして、翌年のワールドカップで再会。その時、長崎さんがボスニアの内戦の話をしてくださり、そういった紛争国からも出場する選手がいることを初めて知り、涙が止まらなくなったのを覚えています。

 私が紛争に興味を持ったのは、宏子さんに導かれてのことです」

――国連で働くことを目標にしたのは、ご自身で色々と調べるなか、行きついたのでしょうか?

「はっきりとは覚えていませんが、最初は多分、どこかで親に吹き込まれたんだと思います(笑)。

 国連で働きたいと思ったのは高校3年時です。大学受験の願書を書いている時に、カンボジアの紛争の調停をした明石康さん(元国際連合事務次長。日本人初の国連職員)という方がいると親に教えてもらい、『明石さんのような仕事をする人になりたい』と思いました」

――その後、どのように目標を叶えていきましたか?

「国連で働くためにはどうしたらいいのかを調べ、必要なステップを洗い出しました。例えば、英語力や修士号の取得、発展途上国での実務経験等です。

 高校卒業後、慶応大学に進学しましたが、英語力を磨くために休学し、アメリカのサザンメソジスト大学にスポーツの奨学金で留学。留学先では全米学生選手権(NCAA)に出場し、大学も卒業しました。

 そして24歳で競技を引退。慶応大学復学・卒業後、英・マンチェスター大学大学院で貧困・紛争論を学び、修士号を取得します。その後、国際協力機構(JICA)のインターンとしてガーナ、企画調査員としてシエラレオネ、ルワンダなどで平和構築支援に取り組み、実務経験を積みます。

 国連職員の採用試験を受けたのは30歳の時でした。外務省の国連職員のジュニア・プロフェッショナル・オフィサー採用試験という制度で、合格後、ユニセフに配属されました」

――ちなみに、将来、水泳に携わる仕事をしようと考えたことはなかったのでしょうか?

「よく聞かれますが、実は一度も考えたことがありません」

――それはなぜでしょう?

「私の学生時代は、元アスリートの女性の職業と聞いて思い浮かぶのは、指導者か学校の先生かスポーツメーカーの社員などでした。指導者といっても当時はトップ選手を指導するような女性コーチは本当に少なく、多くはスイミングクラブのコーチでした。

 私の場合、それらの仕事に憧れを抱かなかったんですね。私のロールモデルだった長崎宏子さんが英語を話すのがカッコよくて、自分も国際的な仕事に就きたいと思っていました」

何のためにスポーツをやっているのか? 動機を理解すると将来の道も見えてくる

「将来に迷っている人は、自分にとってのロールモデルを見つけたり、スポーツをやる動機を理解したりすると、道をみつけるきっかけに」と井本さん【写真:回里純子】
「将来に迷っている人は、自分にとってのロールモデルを見つけたり、スポーツをやる動機を理解したりすると、道をみつけるきっかけに」と井本さん【写真:回里純子】

――昨年、長らく勤めていた国連を退職しました。今はどのような仕事をしていますか?

「今はコンサルタントとして途上国の教育支援に携わりながら、日本のスポーツ界で気候変動やジェンダー平等を推進する活動をしています。

 実は今春から大学院にもまた通い始めます。私自身、今、キャリア・トランジションを迎えていて、皆さんと同じく、次の目標に向かって勉強したりしながら、準備をしているところです」

――将来、何をしたらいいわからないと迷っている学生はたくさんいます。どのようにして、将来の道を見つけていけばよいでしょう?

「一つは『ああいう風になりたいな』と思える人、自分にとってのロールモデルを見つけられるといいと思います。

 ロールモデルの存在はとても重要です。例えば、私が憧れた長崎宏子さんは高校時代からアメリカに留学し、水泳を続けていました。宏子さんがいなかったら、留学を考えることも、国連の仕事もしていなかったと思います。

 憧れの人がいても、『自分とは違う』『自分は無理』と思う人がすごく多いんですね。でも、同じ人になる必要はないですし、追いかけていれば、近づけるかもしれない。それでよいと思うのです。

 あとは、読者の皆さんは運動部の学生さんが多いと思うので、自分が何のためにスポーツをやっているのかを理解するとよいと思います」

――何のために……とは好きだから、とか?

「好きもそうですし、勝つためなのか、楽しいからなのか、チャレンジが好きなのか、周りを喜ばせるためなのか。それとも、将来スポーツで稼ぎたいから、とか。時に辛い思いをしながらも、多くの時間を割いてスポーツに取り組んでいる動機を理解すると、自分は何を大事にする人間なのかが見えてくると思います。

 その延長上で『こんな自分が輝けるフィールドって何だろう?』と考えてみる。すると、目標や進むべき道も見えてくるかも知れません。また、自分はどんな人間なのか、何が強みなのかも見えてきます。これも将来を考える上でとても大事です」

――最後に、学生の皆さんに一言お願いします。

「『自分はそれほど強い選手ではない』とか『勉強が苦手だから……』とか、自分自身にレッテルを張ってしまうと、本来、持っている力を発揮できなくなりますし、可能性も狭めてしまいます。

 将来の夢や目標があるなら、あるいは『自分もそうなってみたい』と憧れる人がいるなら、『自分には無理』と考えずに、どうやったら近づけるのか、今の自分にはどんな知識や経験が足りないのかを、具体的に考えてみてください。

 どうやってトランジションしていくかは、年齢やキャリアは関係なく、誰もが悩む課題ですし、大人になっても悩みながら山を乗り越えています。

 コツコツと努力を重ね、コツコツと成功体験を積み重ねることによって、自信がついてくると思います。『自分もできる』と自信を持って、目標を追い求める気持ちを持ち続けてください」

【プロフィール】 井本 直歩子 / Naoko Imoto

 1976年5月20日生まれ、愛知県出身。3歳から水泳を始める。近大附中2年時、1990年北京アジア大会に最年少で出場し、50メートル自由形で銅メダルを獲得。1994年広島アジア大会では同種目で優勝する。1996年、アトランタ五輪に出場し、4×200メートルリレーで4位入賞。2000年シドニー五輪代表選考会で落選し、現役を引退する。国際協力機構のインターン、企画調査員を経て、2007年から国連児童基金(ユニセフ)職員に。教育専門官として世界各国で平和構築、教育に尽力する。2021年、国連を休職し東京2020組織委員会ジェンダー平等推進チームアドバイザーに就任。同年、一般社団法人「SDGs in Sports」を設立。現在に渡り、スポーツ界におけるSDGsやジェンダー平等の啓蒙活動を行う。2023年、国連を退職。公益財団法人日本バドミントン協会の理事に就任。

(W-ANS ACADEMY編集部)

SUPPORTERSサポーター