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「本当に医者になりたいのか?」 大学受験直前の“燃え尽き”、医学部不合格で芽生えた強い意志――柔道・朝比奈沙羅選手

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「本当に医者になりたいのか?」 大学受験直前の“燃え尽き”、医学部不合格で芽生えた強い意志――柔道・朝比奈沙羅選手

著者:長島 恭子(W-ANS ACADEMY編集部)

2025.04.15

キャリア

柔道女子78キロ超級の朝比奈沙羅選手【写真:荒川祐史】
柔道女子78キロ超級の朝比奈沙羅選手【写真:荒川祐史】

特集「勉強と部活動の両立」、朝比奈沙羅選手(柔道)インタビュー後編

 競技と学業の両立は、日々全力でスポーツに取り組む多くの学生アスリートにとって永遠のテーマと言えるもの。部活動後に自宅へ帰り勉強をしようと思っても睡魔に襲われてしまう……という悩みもよく聞こえてきます。一方で、競技でも学業でも好成績を残しているアスリートがいるのも事実。そんな文武両道を実践する人たちの姿に学ぶ今回の特集。柔道の女子78キロ超級で元世界女王の朝比奈沙羅選手(フクデン)は、現役の医学生。後編では医学部受験に至るまでの背景と、燃え尽き症候群に陥った経験について振り返りました。(取材・文=W-ANS ACADEMY編集部・長島 恭子)

 ◇ ◇ ◇

――朝比奈選手は子どもの頃から「医者になる」という目標を持っていました。高校生になると、いよいよ大学医学部受験について考えるようになりますが、志望校はどのように絞っていきましたか?

「当時はオリンピック選考(2016年リオデジャネイロ大会)が差し迫っていた時期でした。そこで医学部があり、柔道の環境も整っている大学に絞り、各大学の関係者に話を聞きました。ところが、その頃は『柔道と学業の両方を頑張りたい』と言うと、『それは厳しいね』『一方に集中したほうがいいんじゃないか?』という声が圧倒的に多かったんです。また、『(トップアスリートとしての)現役生活は長くはない。若いうちは柔道をメインに考えた方がいいんじゃないか』とも言われました。でも当時、東海大学柔道部師範だった山下泰裕先生(東海大学教授)だけは『そういう考えは面白いね』と言ってくれたんです。

 その言葉を聞き、『人の夢を応援できる大学に行きたい』という気持ちがすごく強くなりました。それで第1志望を東海大学の医学部に決め、合わせて工学部、体育学部と同大学の複数の学部を受験する形を選びました」

――小・中・高校時代のお話を伺うと、本当に学業と柔道、両方に励んできたことが伺えます。勉強に息詰まったり、投げ出したくなったりしたことはなかったのでしょうか?

「あります。実は高校3年の時、バーンアウト(燃え尽き症候群)してしまいました。高校柔道の三大大会は、全国高校柔道選手権(3月)、金鷲旗(7月)、インターハイ(8月)です。一般的に夏の大会が終わると3年生は引退しますが、自分は秋まで全日本強化選手を決める試合に出場。同級生たちが『夏休みは(1日)10時間は勉強をしましょうね』と言われるなか、柔道の練習も変わらず続けていたので、受験勉強の時間はほとんど取れませんでした。

 そのため、秋の大会後からなんとか遅れを取り返そうと思い、毎日12、3時間、勉強。睡眠と食事の時間以外は勉強して、1~2時間柔道のトレーニングをして、また勉強、という生活だったので、本当に気が狂いそうでした」

――バーンアウトしたのは、高3のいつ頃でしょうか?

「受験の直前、1月の中旬とか下旬かな。だんだん勉強に集中できない日が続くようになり、『今まで敷かれたレールの上を一生懸命走って勉強をしてきた。でも、本当に自分がやりたいことはこれなのか?』という葛藤のようなものが出てきてしまったんです。そこで父に『これまで医者になれと言われ、育ててもらったけれど、それが自分が本当にやりたいことなのかわからない』と話しました。すると父は『じゃあ、(医者を目指すのを)やめれば?』とあっさり言ったんです。それを聞いて『え、ヤバ』と、ものすっごく頭に来ました(笑)」

――それはどんな「ヤバイ」気持ち?(笑)

「『これまでレールを敷いてきたのに、自分の思い通りにならなかったら、そうやって見捨てるんだ!』と思ったんです。自分は本当に反骨心の塊みたいな人間なので、『わかりました。受験までは一生懸命やります。でも受かっても受からなくても、その先は自分の人生なんで自由にします』と宣言。父には『それでいいんじゃない?』と言われました。まあ、父が『やめれば?』と言ったのは、(自分を奮い立たせるための)作戦だったのかもしれませんが」

師範の言葉で変わった考え方、東海大学の4年間で得たもの

東海大学時代には保健体育科の教員免許とスペイン語の単位も取得した【写真:荒川祐史】
東海大学時代には保健体育科の教員免許とスペイン語の単位も取得した【写真:荒川祐史】

――そして迎えた受験。残念ながら、医学部への入学は叶いませんでした。

「はい。不合格とわかった時は悔しさのあまり、その場で号泣してしまいました。ショックが大きすぎて二日二晩涙が止まらず、翌日の工学部の試験は答案用紙が涙で見えない状況のなかで受験。試験どころではありませんでした。最終的には東海大学体育学部武道学科に進学しましたが、不合格だったことで『ああ、自分はやっぱり医者になりたかった』という気持ちに気づけました。そこからは『どれだけ回り道をしても、絶対に医者になる』という気持ちになりましたね」

――初めて自ら「医者になろう」という意志が生まれたんですね。

「そうです。医学部進学を目指す多くの方は、浪人をして翌年、再受験します。でも自分はオリンピック出場にも挑戦したかった。そこで、大学に通いながら、まずは卒業して一般受験、大学を卒業することで受験資格を得られる学士編入学試験やAO入試(現・総合型選抜試験)の受験に加えて海外の医科大学受験という4方向に選択肢の幅を広げた受験戦略で合格を目指し、大学在学中から医学部進学予備校に通いました」

――第一志望ではなかった学部でしたが、大学生活はどうでしたか?

「正直、最初は『体育学部武道学科に入ったところで、何も得るものはない』と思ってしまいました。でも、当時柔道部の首席師範だった佐藤先生(宣践/東海大名誉教授)に『入ったからには何かを得て卒業したらどうだ?』と言われたんです。確かに、と思い2年生から教職課程を取り始め、保健体育科の中高の教員免許を取得。欧州遠征が多い全日本柔道代表活動ということもあって、スペイン語の単位も取得しつつ、無事、卒業もしました。

 最初は『教職なんて取ってもしょうがない』という舐めた気持ちがありましたが、ふたを開けてみれば東海大学での4年間は、自分の中で一番濃く、楽しい時間でした。また、一生ものの仲間にも出会えました。一つの選択に固執せず、好奇心をもっていろんな可能性を探る。そして、その場を経験してみるということも大事だなと感じています。

――そして、東海大卒業から1年後、見事、獨協医科大学にAO入試で合格します。

「当時も、オリンピック東京大会の選考を控えていたので、柔道全日本の海外遠征と試験日程が被らない大学を選びながら8校に狙いを定めて受験することになりました。2度目の大学生活に備えてできるだけ学費を抑えられるよう、国立大学士編入学試験を中心に受験しましたが、英語・小論文の試験はともかく、自然科学(物理・化学・生物の総合問題)の試験が難しすぎてまったくお話しになりませんでした。本当に落ちまくっていたので、合否を確認することが大きなストレスになり、獨協医大の一次試験の合否発表も『どうせ落ちているから見なくていい!』と見に行かなかったんです。すると当日、父から『受験番号はいくつ?』と電話がかかってきて。『A1019番』と答えると『お前一次試験、合格しているよ』と言われて、手汗が止まらなかったことを今でも鮮明に覚えています。本当は別の国立大の受験も控えていたのですが、合否を確認するストレスに堪え切れず(笑)、2次試験に合格した7校目の獨協医大への入学を決めました」

一番大事なのは「自分で自分の人生に金メダルをあげられること」

獨協医科大学ではラグビー部にも所属。写真はラグビー部の学友と。「1年半ほど柔道から離れていましたが今年、試合に復帰しました。今年は柔道の練習をメインに、週1ぐらいのペースでラグビー部と一緒に走ってトレーニングを続ける予定です」【写真:本人提供】
獨協医科大学ではラグビー部にも所属。写真はラグビー部の学友と。「1年半ほど柔道から離れていましたが今年、試合に復帰しました。今年は柔道の練習をメインに、週1ぐらいのペースでラグビー部と一緒に走ってトレーニングを続ける予定です」【写真:本人提供】

――今年、医学部の4年生になります。今後の目標を教えてください。

「順調に進級すれば、大学生活はあと3年間です。学生の本分は勉強なので、やはりなるべく良い成績で進級し、しっかり医師になることが自分の中で一番のプライオリティーです。それまで1日1日を大切に生きていきたいと思います。

 医師を目指すにあたっては、まだ進みたい診療科は決め切れていません。ただ、やはりこれまでお世話になってきた柔道やラグビーなど、スポーツに還元できる医療にも携わりたいと考えています。また子どもが好きなので、未来ある子どもたちに元気に育ってもらえるお手伝いができる、というところにも重きを置いて選択していきたいですね。可能性は無限大だと思うので、追々、自分のやりたいことを見つけていけたらいいなと思います」

――最後に今、部活動を頑張っている中学、高校、大学生の選手たちにメッセージをお願いします。

「大事な決断をする際、親にこうしなさいと言われた、他人にこう言われたからと誰かのせいにすれば、結局すごく後悔すると思います。一番大事なことは自分で自分の人生に金メダルをあげられること。それが試合で金メダルを取ることである人もいれば、友人と充実した人生を歩むことが金メダルと感じる人もいます。価値観は人それぞれ。自分が納得する決断を1つ1つしていくことが、何よりも大事だと思います」

■朝比奈 沙羅 / Sarah Asahina

 1996年10月22日生まれ、東京都出身。小学2年生で柔道を始める。渋谷教育学園渋谷中学2年時に全国中学校柔道大会の70キロ超級で優勝。数々の全国大会、国際大会で結果を残し、高校3年の2014年には世界ジュニア柔道選手権(78キロ超級)で金メダルに輝いた。東海大学体育学部に進学後、全日本選手権、世界柔道選手権(17年無差別、18年・21年78キロ超級)やグランドスラム(78キロ超級)などで金メダルを獲得。23年の全日本選手権、グランドスラムバクー以降、試合から遠ざかっていたが25年3月、約1年半ぶりに試合に復帰した。学業では東海大卒業の翌年となる20年4月、獨協医科大学に進学。医師を目指している。

(W-ANS ACADEMY編集部・長島 恭子 / Kyoko Nagashima)

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