Home

「INTERVIEW / COLUMN」記事一覧

月経が「4年間止まっていた」 五輪金メダルの裏で起きていた体のSOS、胸に刺さった母の言葉――レスリング・藤波朱理

「INTERVIEW / COLUMN」記事

  

月経が「4年間止まっていた」 五輪金メダルの裏で起きていた体のSOS、胸に刺さった母の言葉――レスリング・藤波朱理

著者:THE ANSWER編集部

2026.03.11

月経

無月経について語ってくれた藤波朱理【写真:松橋晶子】
無月経について語ってくれた藤波朱理【写真:松橋晶子】

「THE ANSWER的 国際女性ウィーク」9日目 藤波朱理インタビュー前編・無月経

「W-ANS ACADEMY」の姉妹サイト「THE ANSWER」は3月8日の国際女性デーに合わせ、さまざまな女性アスリートとスポーツの課題にスポットを当てた「THE ANSWER的 国際女性ウィーク」を展開。今年は「心とカラダを満たす『幸せ』の選択」をテーマに、3日から12日まで10日間にわたってアスリートがインタビューに登場します。高みを目指し、心身両面で全力を尽くすアスリートたちの姿を通して、一人ひとりの女性が“自分らしく”、幸せな日々を過ごすためのヒントとなる内容を「W-ANS ACADEMY」でも掲載します。

 9日目はレスリング女子日本代表として2024年のパリ五輪に出場し、53キロ級で金メダルを獲得した藤波朱理(日本体育大)が登場します。中学時代に始まった公式戦の連勝記録を伸ばしながら一気に世界の頂点へと駆け上がりましたが、その裏では人知れず、無月経の症状を抱えながら五輪の舞台に立っていました。(取材=長島 恭子、構成=THE ANSWER編集部)

 ◇ ◇ ◇

 想定外の事態に見舞われたのは2024年3月、パリ五輪の開幕を約4か月後に控えた時だった。

 中学時代から始まった公式戦の連勝記録を「133」まで伸ばし、レスリング女子53キロ級において国内外で敵なしの快進撃を続けていた藤波朱理が、練習中に左肘を脱臼。靭帯も断裂するという重傷で、すぐに手術を受けた。

 金メダル最有力候補の身に起きた悪夢――。だが、そんな危機的な状況に陥っても当時20歳の藤波は怯まなかった。驚異的な回復力でリハビリを乗り越えパリ五輪の舞台に立つと、1回戦から危なげなく勝ち上がり見事に金メダルを獲得。優勝が決まった瞬間、コーチを務める父・俊一さんに飛びつき、2人で日の丸を持って喜びを爆発させた。

 日本女子レスリング界に誕生した待望の次世代スター。表彰式後には観客席に向かって弾けるような笑顔を見せていた藤波だが、その裏では人知れず、ケガとは別の“異変”が体の中で起きていた。

「ずっと生理が来ていなかったんです。たぶん、高校2年生くらいからなので、4年間止まっていました。最初のうちは不順になって……という感じだったのですが、大学生になってからは完全に止まりました」

 パリ五輪に向かう戦いのなかで起きていた無月経の症状。始まったタイミングは、まさに2024年の五輪出場を意識し始め、「53キロ級で勝負する」と決意した時期。「高2で全日本を取り、高3の世界選手権で優勝する。高校生のうちに世界一になるという明確な目標があり、そのまま53キロ級で出続けてオリンピックで金メダルを獲るんだ、と考えていました」と当時を振り返る。

 もっとも藤波自身、無月経の症状が起き始めた当初は、「本当に悪い例なのですが、私は生理が来なくて『あぁ、ラッキーだな』くらいに思っていたんです。『このままオリンピックまで止まってくれたらいいな』と考えるくらいでした」と、あまり深刻に捉えていなかったという。

 初潮が来たのは中学3年生の時だった。その後は生理前など月経痛がひどく、練習時に腰の痛みを抑えるために痛み止めを服用し、ひたすら我慢をすることもあった。

「高校(いなべ総合学園高)の時も父が監督でしたから、そんなことは言えるわけもなく……。それに女子部員も私1人でしたからね。そういうことを気軽に相談できる環境ではありませんでした」

「競技後の人生のほうが長い」母の言葉に背中を押されて病院へ

減量が無月経の要因になる【写真:松橋晶子】
減量が無月経の要因になる【写真:松橋晶子】

 無月経になった1つの要因として思い当たるのは、試合に向けた減量だ。

「高校の時から走ったり、運動量はすごく多かったのですが、やっぱり大学に入ってから、かなり減量がきつくなってきたなという印象はありました」

 本人曰く、高校生の時はどんなに食べても「カリカリ」の体型で脂肪がつきにくかったが、大学生になってからは体重が増えやすくなったと感じるように。実際に大学に入ってからは、通常60~61キロの体重を、試合の2か月前から53キロに向けて、7、8キロ落とすことが必要になった。

 ただ藤波自身は、減量について苦しいといったネガティブな感情を抱いておらず、2か月前になれば「自分の中でスイッチが切り替わって」完璧にカロリー計算をしていた。「お米も1グラム単位まで量っていました。私の場合、決まった食事しか摂らないという形ではなく、カロリーの範囲内ならOKというやり方でやっていたので、結構楽しみながらメニューを考えていましたね」と振り返り、「私、毎日記録をつけるのが好きなんですよ」と笑う。

 公式戦のマットに立てば着実に連勝記録を伸ばし、減量にも常に前向きに取り組んでいた。レスリング選手として、ストレスもプレッシャーもまったく感じていなかった。だから大学に入って月経が完全に止まり、「あ、これはヤバいかも」とは思っても、医師の診察を受けることは考えていなかった。

 しかし、母の千夏さんの言葉に考え方を改める。

「母には(無月経のことを)相談しましたが、やっぱりすごく心配していました。『競技はもちろん大切だけど、それが終わってからの人生のほうが長いんだよ』って言われて。その時の自分はもうレスリングしか見ていないですし、オリンピックで金メダルを獲った後のことなんて考えてもいなかったのですが、母は女性として、将来のことを考えて心配してくれていました。私自身はまだ『そうか』くらいの感覚でしたが、それからJISS(国立スポーツ科学センター)に通うようになったんです」

 JISSスポーツクリニックの婦人科では、骨密度を含め検査を実施。その結果、身体的な異常は見られないことが分かった。

 無月経を引き起こす原因には、もちろん個人差がある。例えば女子アスリートは、運動によるエネルギー消費量が、食事によるエネルギー摂取量を上回る「利用可能エネルギー不足」を指摘されることが多い。藤波の場合、さまざまな検査結果から「メンタル面の影響」が考えられ、医師からは「パリオリンピックまではこのまま様子を見て、終わっても月経が来なかったら他の治療も考えましょう」という提案を受けた。

「選手ファーストで考えてくれる先生だったので、すごくありがたかったです」。藤波は、通院しながらパリ五輪の舞台を目指すことになった。

パリ五輪で目標を達成、大会後に自然と来た月経

パリ五輪で目標の金メダルを獲得した【写真:AP/アフロ】
パリ五輪で目標の金メダルを獲得した【写真:AP/アフロ】

 そして2024年8月、大会直前の負傷も乗り越えた藤波は目標としていた金メダルを獲得。その2、3か月後、止まっていた月経が再開した。

「(月経が再開した時の気持ちは)『おーっ』ていう感じでした」と藤波。「自分の中でプレッシャーを感じている感覚はなかったんですけど」と切り出し、言葉を続ける。

「やっぱり、心と体って繋がっているのかなと思いましたし、体は正直だなと思いました。たぶん本当にメンタル的な部分、オリンピックという舞台で金メダルを獲って、ホッとして生理が来たような感覚だったので。カロリーとかではない感覚があったので、心と体って正直だなって」

 無意識のうちに起きていた体の中の異変。世界の頂点を目指す戦いのなかで、体への負荷は確実に蓄積していた。そこに無意識のプレッシャーが重なり、それが無月経という形でSOSのサインを出していた。

 しかし藤波にとっては、女性アスリートに特化したクリニックへの通院を後押しした母の言葉と、選手の思いに寄り添いながら導いてくれた医師の存在が大きかった。あらゆる面において、周囲のサポートがあってこそ、パリ五輪までの4年間を駆け抜けることができたのだ。

 そしてこの経験が、藤波にアスリートとしての新たな挑戦を決意させる。57キロ級への階級変更、そして2028年ロサンゼルス五輪での2階級制覇の偉業達成に向けて動き出した。「自分がレスリングを楽しむことが今は一番」と語るその笑顔には、パリ五輪までの道のりで見せていた表情とはひと味違う、安堵したような想いが満ちあふれていた。

■藤波 朱理 / Akari Fujinami

 2003年11月11日生まれ、三重県四日市市出身。ソウル五輪代表候補だった父・俊一と、兄・勇飛の影響を受けて4歳でレスリングを始める。中学時代に頭角を現すと、父が監督を務めるいなべ総合学園高校へ進学。女子53キロ級に参戦し、高1でインターハイ優勝を果たすと、高2で全日本選手権、高3では世界選手権を制覇した。2022年に日本体育大学へ進んだ後も連勝記録を伸ばし続け、20歳で出場した24年パリ五輪で金メダルを獲得。大会後に57キロ級への階級変更を表明し、25年12月の全日本選手権では同級で優勝。連勝記録を「150」に伸ばした。26年4月からはレスター所属が決定している。

(取材・長島 恭子 / 構成・THE ANSWER編集部)

SUPPORTERSサポーター