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「五輪かけた演技直前のトイレで生理が…」 食べる事は悪と刷り込まれ、体重にも月経にも無知だった過去――フィギュア・村上佳菜子「女性アスリートと体重管理」

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「五輪かけた演技直前のトイレで生理が…」 食べる事は悪と刷り込まれ、体重にも月経にも無知だった過去――フィギュア・村上佳菜子「女性アスリートと体重管理」

著者:W-ANS ACADEMY編集部

2024.03.02

コンディショニング

体重管理

ソチ五輪に出場した当時の村上佳菜子さん【写真:Getty Images】
ソチ五輪に出場した当時の村上佳菜子さん【写真:Getty Images】

「THE ANSWER的 国際女性ウィーク」2日目 女性アスリートと体重管理/村上佳菜子インタビュー前編

「W-ANS ACADEMY」の姉妹サイト「THE ANSWER」は3月8日の国際女性デーに合わせ、さまざまな女性アスリートとスポーツの課題にスポットを当てた「THE ANSWER的 国際女性ウィーク」を今年も展開。「“つながり”がつくる、私たちのニューノーマル」をテーマに1日から8日までアスリートがインタビューに登場します。さまざまな体験をしてきたアスリートといま悩みや課題を抱えている読者をつなぎ、未来に向けたメッセージを届ける内容を「W-ANS ACADEMY」でも掲載します。

 2日目はフィギュアスケートでソチ五輪に出場するなど、第一線で長く活躍した村上佳菜子さんが登場します。テーマは「体重管理」。前編では、昨年10月に体型のコンプレックスをインスタグラムで打ち明けたことを振り返り、人生で直面してきた体重管理の苦悩を告白。幼少期から五輪を目指して競技に没頭し、自分の体を守る知識がなく、月経不順や疲労骨折に悩んだこともあったといいます。(取材・文=THE ANSWER編集部・神原 英彰)

 ◇ ◇ ◇

 昨年10月25日、村上佳菜子さんはインスタグラムの投稿で1本のメッセージを掲載した。

「現役で頑張ってた時から競技上痩せていなきゃいけなくて、小さい頃から食べ物を食べる。という行動は特別になっていました」という書き出しから始まる、700字を超える長文。食事をしている時に監視する母の視線が嫌で、じっと見られるのが苦手になったこと。引退後に13キロ太った体型を指摘されて傷つき、自信を失ったこと。「美しくて綺麗で可愛い」が植え付けられた日本で、太くて短い脚にコンプレックスを持っていること。それでも、自分の体を愛そうと、必死にもがいていること。

 元オリンピック選手で、バラエティ番組でも活躍し、明るいキャラクターの村上さんの赤裸々な言葉は大きな反響を呼んだ。

「実は思っていることを素直に書いただけで『よし、言うぞ!』なんて覚悟はなくて、反響があったのも自分の中でしっくり来てないくらいなんです。太っていることを笑いにしていました。『太っちゃった~』『私、脚に筋肉があるから、短いスカート履きたいんだけど、コンプレックスで~』みたいな。笑いに変えて恥ずかしさから逃れる感じ。でも、同じように体型のことで悩んでいる人が多いことが発見だし、ビックリしたし、逆に温かい声で、私の方が元気をもらいました」

 そう明るく振り返りながら、何気なく口にした言葉は重い。「でも『食べるのは悪いこと』って、今も心のどこかで思ってます」。食べることが悪。そんな考えが拭い切れないほど、村上さんにとって体重が切っても切り離せない人生だった。

 フィギュアスケートを始めたのは3歳。6歳上の姉を追い、競技が盛んな愛知で教育熱心な母の下、練習に打ち込んだ。

 体重が30キロにも満たない小学生の頃から、先輩たちに「軽くていいな」と言われ、「体重は軽い方がいい」と刷り込まれた。当時はその理由などよく分からずに。母の教えは「食事は最後の一口を必ず残しなさい」。その一口で太るから、と。食べるという行為に、自然と“隠れる”意識がついた。

「練習場の下にケンタッキーがあったから、帰りにこっそりチキンを買ったり、(店舗が)マクドナルドになったらポテトを買ったり。自転車で10分の距離なのに買った物を食べながら20分かけて。アイスの時もありました(笑)。外食に行っても、母は『量は頼んでいいけど、全部一口ずつにしなさい』と。残した物は母が全部食べる。お米もなるべく食べたらダメ。すごくストレスで。母も無意識に私を見ているし、私も見られていないのに視線を感じるようになっていったんです」

 朝から晩まで練習をこなし、食事は移動の合間。「最後の一口を残しなさい」は絶対で、できるだけ食べて、残った物を薄く伸ばして多く見せる術を身につけた。いつも空腹。育ち盛りの小学生の頃に「満腹」を知ることは、ほとんどなかった。すべてを競技に捧げた。

 おかげで15歳で世界ジュニア選手権を制すると、浅田真央に次ぐ天才少女としてスポットライトを浴びた。

自分の体をコントロールできなかった現役時代、ソチ五輪代表選考会の演技直前に生理が…

代表選考会の演技直前に生理が来たことを打ち明けた村上さん【写真:荒川祐史】
代表選考会の演技直前に生理が来たことを打ち明けた村上さん【写真:荒川祐史】

 体重で悩み始めたのは18歳。体の成長が遅く、初めて生理が来たのもその頃。それを機に体型変化が起こった。ちょうど2014年ソチ五輪シーズン目前。

「同じくらい追い込んでいるのに、太り出しました。脂肪がつく感じが分かるようになって、先生(コーチ)からも『(スピンで)回っている時にお尻が揺れてる』『動きが重いよ』と、体型のことをすごく言われました。選手同士でも食事制限している子のことは意識してしまう。『あの子は食べてないのに私、食べてる』と罪悪感を覚えたり、『何、食べてる? 私はこうだよ』とマウントを取り合ったり。背も大学に入学して伸びたこともあって、体型のことがより切実になりました」

 ただでさえ肌の露出が多く、ボディラインが分かりやすい衣装。体型は周りとすぐに比較できる。練習場は鏡に囲まれ、前を通るたびに自分の脚を見る癖がついた。大会やアイスショーで他のスケーターと並ぶと、どうすれば脚が細く見えるかを意識し、写真に納まった。

 とにかく痩せなきゃ。村上さんの頭を支配し始めたのは、盲目的な思考。

 やると決めたら、とことんやり抜く生真面目な性格。食事量を制限し、一気に4キロも減量したこともある。毎週、練習場で会うコーチらにかけられる「見るたびに痩せていくね」という言葉がうれしかった。食事の代わりに、栄養補給食だけ食べる自分を褒めたくなった。

 生理にも無頓着。思っていたのは「来なければ、来ない方がいい」。生理は邪魔なもの。初潮が遅く周囲にホルモン剤の注射を勧められたが、母が断った。過度な食事制限もあってか、常に生理不順。1か月で来ることもあれば、3か月、半年来ないことも。来そうと思って来なかったり、来なさそうと思って急に来たり。

 自分で自分の体をコントロールできない。それを象徴するエピソードがある。

 ソチ五輪の代表選考をかねた2013年12月の全日本選手権、すべてが決まるフリープログラム。当時19歳だった村上さんは演技直前に行う6分間練習を終え、自分の出番まで十数分の間にトイレに行くと「(生理が)来た」と気付いた。競技人生をかけた大一番直前、動揺するタイミング。

「でも、『ああ、来たんだ』と思うと、気持ちがそちら(動揺)に持っていかれちゃうから『来てない、何も見てない』と思い込ませて、知らないふりをして演技しました。衣装が白だったら大変だったなと思うけど、本当にいつ生理が来るかも分からない。ずっとそんな状態でした」

 にもかかわらず、ほぼパーフェクトな演技を披露し、結果は2位。見事にオリンピック切符を掴んだ。

 こうして体重や生理の話を聞いていると、“競技”を優先するあまり、“自分の体”は二の次に映る。

 疲労骨折が多かった村上さん。月経不順はその原因のひとつとされるが、「そうなんですか? 初めて知りました。だから私、多かったんだ」と笑う。「でも、疲労骨折くらいなら練習できるという感覚。(自分の体を)深く考えたこともなくて、こう話すと相当過酷なところにいたんだと改めて思います」と正直に話してくれた。

 もちろん、強靭な精神力とそれに裏打ちされた練習量が競技に生きることは紛れもない事実。村上さんも「自分だけじゃなく、周りも同じような環境で練習していたので、自分が特別厳しかったという想いもあまりない。それくらいやったからオリンピックまで行けたと思っているし、後悔もしていないんです」と打ち明けた。

 しかし、今いる環境が正しい、正しくないと考える余裕も、判断する材料もなかったことは見逃せない。一歩間違えば、将来にもつながる健康障害を起こすからだ。

家族にも友人にも体重や生理の悩みを相談できず「自分の弱さを見せたくない気持ちはあった」

若い世代に伝えたいことは「ご褒美の日を作ること」と村上さん【写真:荒川祐史】
若い世代に伝えたいことは「ご褒美の日を作ること」と村上さん【写真:荒川祐史】

 22歳で引退。「食事は最後の一口を残す」を守り抜いた20年の競技人生を振り返り、思うことがある。

 当時はコーチにも、家族にも、友人にも……誰にも、体重や生理の悩みを言えなかった。「自分の弱さを見せたくない気持ちはありました。それはアスリートの本能なのかなと思います」。一方で、大人の指示を忠実に守り、常に自分と誰かを比べていた。自分に軸がなく、自分の体に関心を持てなかった。

「スケート以外に気を配る余裕がなくて。生理は来ないなら来ない方がいい。半年来なくても何も思わない。引退するまでスケート以外、何もしていないし、(健康の)勉強もしていない。当時は先生も昔ながらの指導で、見た目や動きで(感覚的なことを)言われるくらい。海外も一緒で、私も海外の先生に『だいぶ痩せてきたから、今年来るよ』と体型を基準に言われる。私も摂食障害になってしまった選手を多く見てきました。日本に限らずどの国も変わらなかったように思います」

 引退後に婦人科に通うようになり、興味の矢印が自分の体に向き始めた。だからこそ、今、フィギュアスケートに打ち込んでいる若い選手たちに伝えたい。

「ご褒美の日を作るのはすごく大事。私は試合後のバンケットパーティーは『食べる!』と決めて、バイキングを気にせず食べました。もちろん、栄養の知識を持っておくことも大切だし、その上でしっかりと食べることで良い動きにつながる。今はメンタルケアや栄養士さんが入ることも珍しくないし、パワフルにジャンプを跳べる選手も増えている。痩せる、綺麗な体になるだけじゃなく、競技力を高めるために学べる機会を選手に提供することも大事な動きのひとつです」

「小学生の頃から常にダイエットだった」という村上さん。引退後、冒頭のインスタグラムの投稿につながる、体型の変化が起きた。体重が13キロ増加。「(顔が)パンパンだね」「凄い太ったね」――。悪気なく向けられる言葉に傷つき、次第に自分に自信を持てなくなった。

 そして、決心を固めた。

(後編へ続く)

■村上 佳菜子 / Kanako Murakami

 1994年11月7日生まれ。愛知・名古屋市出身。姉の影響で3歳からスケートを始める。トリプルアクセルを跳んだジュニア時代から頭角を現し、15歳だった2009年-10年シーズンにジュニアGPファイナル、世界ジュニア選手権優勝。19歳だった13-14年シーズンに全日本選手権で2位に入り、四大陸選手権優勝を経て、ソチ五輪に出場した(12位)。16-17年シーズン限りで22歳で現役引退。引退後はアイスショーに出演する傍ら、バラエティ番組などタレントとしても活躍する。今年1月に一般男性との婚約を発表した。

(W-ANS ACADEMY編集部)

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